古代史の中で、数学はどのようにして始まったのか
各種資料から寄せ集めてブリコラージュしています。
図 初期からの年表
図 縄文時代の年表
1.上部旧石器時代前半期」(EUP)
図 環状ブロック群
通常遺跡から出土する石器は、ある程度のまとまりをもって分布することが知られており、その
まとまりを「ブロック」と呼ぶ。このブロック同士は、石器の素材である石材の共有などを通じて
有機的なつながりを持つ場合がある。これをユニット**またはブロック群という。
群馬県赤城山麓の下触牛伏遺跡では、ブロックが径約 50mの円形上の環状ブロック群であるこ
とが初めて確認された。
その後、環状ブロック群は関東地方を中心に日本各地で発見されている。
北海道、琉球列島を除く日本列島のほぼ全域に認められている。このようなものは西アジア以西ではこの時期現れていないので、日本列島が最も早いという。
また日本のEUP期の陥し穴は、年代的に世界最古の例で罠による猟は「現生人類型行動」の証左とも言われ、武蔵野台地の第VII層段階に相当する。
同様な時期に刃部磨製石斧の存在も世界最古とされる。
また野川最上流部の武蔵台遺跡から、約3万2,000年前の第Xa文化から神津島産の黒曜石が確認されている。
伊豆諸島の神津島は太平洋上の島嶼で、黒曜石の原石を採取するには本州中央部の伊豆半島から約30km以上の「黒潮激流」の海上航行の必要があった。
こうした遠隔地良質石材の調達、移動居住など、現世人類の日本列島への植民がEUP期段階であったことを示すとされていて、刃部磨製石斧により作られた丸木舟によるものとされる。
そしてその年代は、後期旧石器時代初頭の石斧と台形様石器および基部加工のナイフ形石器等が特
徴的にみられる時期であり、
この時期まだ多く生息していたナウマン象や
オオツノシカといった大型哺乳動物を捕らえるために、ある一定期間多くの人々が集まって生活し
たムラであろうと捉えられている。そして、この時期特徴的に発見される石斧は、これらの大型哺
乳動物を解体するために使用された石器であろうと推定されている。
図 仲町遺跡
この時期の道具箱の道具は、数えられるものとしては、大変少しのもので片手にも足りないようである。
2.持ち物の数を数えられるようになった時期
図 遺跡
両手の指に対応させて道具を把握していたとされる時期
3.神子柴遺跡の時期
図
石斧と尖頭器の集散と移動、会合
会合するためには月の暦、月齢などを利用して会合していたものと考える。
月齢を数えたとすれば 30という数は把握していたはずではないだろうか。
4.一太陽年を知る 365日
山からの日の出を見て、定住して直ぐに測定していたのでは無いか
小石を列べることで、日数に対応させていたのだろう。計算は小石を用いて計算し、それはカルキュレートである。
図 土器年表
突起土器 1,2,4,6,8,12、3、5、7
5.直角三角形を知る 3,4,5
図
土版が出ていて、これに描かれている数字は直角三角形であり、この数と図形でアルキメデスの三平方の定理を示していると考えている。
世界最初の定理説明では無いか。
6.カレンダーの存在
図
中里貝塚では季節を知り、貝の食味の良い適切な時期を選んで潮干狩りを行っていたようだ。
これを行うためには、月の暦と太陽のこよみをシンクロさせたカレンダーを作って、季節の把握と潮の満ち引きを予測しているはずである。カレンダーには365と30の最大公約数の計算が必要で、それを行っていたはずである。