金生遺跡を世界遺産 世界標準時の天文台にしよう会

新石器時代の海外進出

新石器時代の海外進出

1.神津島
 日本列島では旧石器時代から石器の用途に応じて多種類の石材を使い分けていた。石槍や石鏃などの利器にとって最も優れた石材で、かつ原産地が限定される黒曜石やサヌカイトは、既に広域に亘る物流網が敷かれていた。旧石器時代から遥か東海の海上にある神津島・恩馳島から、長野県の八ヶ岳東麓の野辺山で営まれていた矢出川遺跡にまで運ばれていた。
上水内郡信濃町の野尻湖遺跡群の後期旧石器時代(約3.5万~1.2万年前)を通して、和田峠産のみならず、青森・秋田産や神津島産の黒曜石が、持ち込まれていた事実が明らかになった。長野県埋蔵文化財センターが発掘した石器1点が、神津島産であることが沼津工業高等専門学校の望月明彦教授 の分析によって判明した。実に300kmの遠隔地である。
 また野川最上流部の武蔵台遺跡から、約3万2,000年前の第Xa文化から神津島産の黒曜石が確認されている。
伊豆諸島の神津島は太平洋上の島嶼で、黒曜石の原石を採取するには本州中央部の伊豆半島から約30km以上の「黒潮激流」の海上航行の必要があった。
こうした遠隔地良質石材の調達、移動居住など、現世人類の日本列島への植民がEUP期段階であったことを示すとされていて、刃部磨製石斧により作られた丸木舟によるものとされる。

特別史跡加曽利貝塚でも黒曜石製の石器が出土しています。
その産地は栃木県、長野県産がありますが、神津島産が多数を占めています。
縄文時代の交易の例としては他にも伊豆諸島の神津島産の黒曜石が関東一円で利用されたこと、新潟の糸魚川産のヒスイが広く利用されていたなどの例がある。
 また、日本列島各地の特徴を持つ土器が縄文時代前期の末期から八丈島(はちじょうじま)からも見つかるようになっています。神津島(こうづしま)産の黒曜石(こくようせき)という特殊な石も本州各地で発見されていることから、日本列島全域をカバーする交易ネットワークがすでに縄文時代早期に形成され始めていたと考えられています。

丸木舟存在の推測

       図 神津島の黒曜石の広がり

 

       図 磨製石斧と砥石


 舟造りのため開発されて、舟を利用して外海になる神津島の黒曜石を取りに行って、列島内で利用されていた。
 この舟によりオーストラリア、インドネシア、シベリア、アメリカ大陸などにも広がったものと考える。
 ケルプ街道ではアメリカ大陸に、カリフォルニアの島にも広がっていた。
 刃部磨製石斧のレベルではまだ分業まではされていなかったものと思う。
長野県日向林遺跡から出土した60点、長野県の貫ノ木(かんのき)遺跡から出土の55点の磨製石器に用いられている石は、伊豆の神津島から運ばれてきた石だという。
つまり当時の日本人は航海術に長け海洋さえも自在に往来していたことも伺わせています。


2.海外に出掛けた証拠

世界各地からの磨製石斧、両面加工尖頭器の出土

ティンカユでの両面加工尖頭器の出土

 

オーストラリアでの局地的な両面加工尖頭器と刃部磨製石斧の出土

 

北海道からアメリカ大陸へ

アメリカ大陸での両面加工尖頭器の出土、クーパーズフェリー、チャンネル諸島、クロヴィスなど

両面加工尖頭器の出土があるものの、起源は明らかで無い。両面加工尖頭器は狩猟にとって特別有利と成るものではなかったのと、製作するのに石材のロスが膨大すぎて、一般的とは成らなかった。サケ漁以外には石鏃に利用されるまで特別有利な製作法では無かったようだ。限られた地域への点在と広がりが無いということから見て、日本列島起源では無いかと考えている。


3.帰ってきた証拠
鳥浜貝塚の遺物のなかには、
ゴボウ・アサ・アブラナ・リョクトウ・シソ・コウゾ・漆作りに関連するエゴマなどの種子や、ヒョウタンの種子と果皮があり、これらは野生種ではなく栽培種とみられていますから、縄文前期にはすでに食用のものをふくむ栽培植物があったことがわかりました。 
日本を原産としないこれらの植物は、大陸からもたらされたのだろう。    
丸木舟・櫂・弓・石斧の柄・鉢・櫛など、木製の道具の
種類や量の豊富さや高度な製作技術は現代からみても驚くべきものです。 

縄文時代の栽培植物の例
①ヒョウタン: 滋賀県粟津湖底遺跡、縄文早期のヒョウタン種子。
②アサ: 千葉県沖ノ島遺跡、1万年前のアサ果実。縄文時代18遺跡。
③粟津湖底遺跡から縄文早期のシソ属。シソと縄文エゴマの種子(油採集)。

鳥浜貝塚出土ひょうたんの殻 
ひょうたんの原産地は西アフリカのニジェール川流域。どんな経路をたどって日本まで
来たのか、丸木舟で運ばれていたのではないか。 
また、この鳥浜貝塚で「ひょうたん」の殻や種子が出たことから、この地で「ひょうた
ん」の栽培がはじまっていたとも考えられている。

ササゲによく似た、リョクトウ( 緑豆 )の原種もまた、中央・東アフリカ,マダガスカル,アジア大陸部,インドネシア,ニューギニア,オーストラリア北部および東部に広く分散しています。
日本の縄文時代早期の遺跡、福井県 鳥浜貝塚からも、リョクトウ、ヒョウタンの種子が発見されていますので、この当時すでに、日本でも簡単な農耕が行われていたと考えられています。

日本列島の新石器時代とは、丸木舟で海上移動がかなり自由に出来るようになり、世界各地に出掛けて広く狩猟採集を行っていた時期であるということでは無いか。そのカレンダーは星であり、月の暦であったのでは無いだろうか。


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