王冠土器は海の感じがして、火焔土器は内陸の川の水の流れの感じ
それは王冠型土器の説明から---口縁部に火焔型土器にみられるような鋸歯状の突起(フリル)がつくことはなく、U字状のゆるやかな曲線を描く。---
このような波は、川の波より海の波なのだろう。
こうしたことから見て、この地区には信濃川など大きな河川が流れていて、川から海へ出る人と、内陸に住む人の混在が有ったのでは無かろうか。
生業とする仕事が異なれば、意識も異なり、王冠型土器は海に出る人に支持されて居たのだろうと考えれば理解可能に思う。
そうなると海と関係深い太陰暦はどうなっていたのだろうか。
日本海側ではこの地区は、川をかなり遡る内陸にあることから、海辺での生業は多くなく、干満に関してはそれほどの切実さはなかったのだろう。加曽利地区とは異なっていただろう。
新潟富山石川の貝塚は僅かに6カ所しか見つかっていない。
この地区で4突起の土器があれ程流行ったのは、太陽暦の聖なる数4だった。
加曽利地域の聖なる数6の土器は無い。
太陰暦は作られなかったものと思う。
写真はお借りしました
引用ーーーーーー
王冠型土器
口縁部に火焔型土器にみられるような鋸歯状の突起
(フリル)がつくことはなく、U字状のゆるやかな
曲線を描く。土器の表面の色は、粘土の成分や焼き
具合によって異なる。長岡の周辺の土器は、赤色系
と白色系のものが認められるが、これは粘土に含ま
れる鉄分の違いによるもの。また、土器内側の「お
こげ」を放射性炭素法で調べると、5300年から
4800年前の凡そ500年間におさまっている。
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新潟県
刈羽貝塚(佐渡市)
藤塚貝塚(佐渡市)
轟貝塚 (新潟県)(新発田市)
富山県
朝日貝塚(氷見市)
石川県
上山田貝塚(かほく市)
三引貝塚(七尾市)