日本列島への水田稲作の伝来の遅れは何故か
図 日本列島への稲作の遅れ
安田喜憲によれば、日本列島への農耕の伝来が世界標準から見て
遅れたのは西日本の人口が少なかったことが原因とされているようだ
図 水田稲作の開始
河姆渡文化(河姆渡遺跡)
中国浙江省の河姆渡遺跡から水稲の籾が大量に発掘されており、最古級の水稲稲作と推定されています。
この遺跡は、紀元前4500年頃の時期に該当します。
更に遡って、紀元前7500~5000年頃の時代の稲作の遺跡が、彭頭山遺跡から見つかっています。
図 水田稲作の伝来
このように古くからの稲作がなぜ日本列島に伝来するのが遅れたのか
鬼海カルデラ噴火による西日本の壊滅
それも海を渡る人々の移住壊滅
東日本への移住
西日本ではそれまでの大陸への渡航人口が無くなり
交流が途絶えたのではないか
その後東日本では、縄文文化が隆盛となり
指向は東が中心となり、東からの文化が西日本に流れていたのでは無いか
このため大陸への興味が低下、大陸への渡航が低下していた
そのため大陸からの文化をそれ以前のようにはもたらすことが無くなっていた
図 土偶の分布域の変遷
鬼海カルデラ噴火の降灰の影響から
自然の多様性低下、人口減少
これを回復するのに縄文時代後期までの時間が必要だったのでは無いか
図はお借りして補足しています