縄文時代 4500年以前に、世界初の太陽暦観測天文台として設置されたと見える金生遺跡を世界の標準時の基準とすることを提案する。
グリニッジ天文台(グリニッジてんもんだい、英: Royal Observatory, Greenwich、旧称: Royal Greenwich Observatory)は、ロンドン郊外グリニッジ地区のテムズ川河畔グリニッジ・パーク内に存在する天文台。
1675年にイングランド国王チャールズ2世が設立した王立天文台
世界制覇のために設立されたもので、今や時代にそぐわない。
GMT 世界標準時の基準は金生遺跡の大配石に、太陽暦は縄文金生暦と変えよう。
日付変更線も金生遺跡としよう。
引用ーーーーーーーーーーーーーー
グリニッジ天文台
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Royal Observatory
Royal observatory greenwich.jpg
グリニッジ天文台。八角形の建物の頂上に報時球がある
グリニッジ天文台の位置(グリニッジ区内)グリニッジ天文台グリニッジ天文台
グリニッジ区における位置
コード 000
所在地 グリニッジ, イギリス
座標 北緯51度28分40秒 西経0度00分05秒座標: 北緯51度28分40秒 西経0度00分05秒
ウェブサイト www.rmg.co.uk/royal-observatory/
望遠鏡 Altazimuth Pavilion At The Royal Observatory[*]
コモンズ ウィキメディア・コモンズ
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かつてグリニッジ子午線の基準になっていた、グリニッジ天文台旧本館北面の窓。現在の本初子午線はこの窓の中心から東に約102.5mの位置を通過している。
本子午線
テムズ川河畔側から南方に見えるグリニッジ天文台の全貌
グリニッジ天文台(グリニッジてんもんだい、英: Royal Observatory, Greenwich、旧称: Royal Greenwich Observatory)は、ロンドン郊外グリニッジ地区のテムズ川河畔グリニッジ・パーク内に存在する天文台。ロンドン中心部から東におよそ5km、テムズ川河畔からは南におよそ800mの丘に建てられている。
1675年にイングランド国王チャールズ2世が設立した王立天文台で、初代天文台長はジョン・フラムスティード。
1957年にイースト・サセックスのハーストモンソーに移転し、「グリニッジ旧王立天文台」となった。1990年にケンブリッジに移転した後、
1998年に閉鎖され、再び「グリニッジ王立天文台」と呼ばれることになった。現在は観測機器はなく、史跡として維持されている。
1851年に台長ジョージ・ビドル・エアリーが本館(当時)に子午環を設置し、窓の中心を基準として観測を行い、この地点(グリニッジ子午線上)の平均太陽時であるグリニッジ平均時を定めていた。その後、世界共通の経度の基準(経度0度、本初子午線)と定められ、世界の経度および時刻の基準を担っていた。1833年に設置された報時球は現在も稼働している。
なお、現在では、エアリーの子午環は、正確には本初子午線ではなくなっている。本初子午線は、エアリーの子午環から東へ、角度 5.301 秒、距離にして102.478 m の位置を通過している(詳細は本初子午線、IERS基準子午線を参照のこと)[1]。
近隣のブラックヒースには、イングランド王ジェームズ1世が1608年に最初7ホールを造らせたゴルフクラブがある。これは今も超一流コースとして利用されている。
目次
1 建設の背景
2 年表
3 歴代天文台長
4 出典
5 関連項目
6 外部リンク
建設の背景
15世紀後半からヨーロッパ各国による海外進出を競う、大航海時代を迎えていたが、当時はまだ、運に任せた危険な航海が多く、海難事故が相次いでいた。この競争を制するため、航海術の向上にいち早く取り組み、海洋国家として世界に進出を図っていたイングランドは航海の支援を目的として、天文台を建設した。外洋の航海には正確な緯度と経度の計測が不可欠で、見渡す限りの海で緯度の計測基準となったのは星であった。北極星の位置や見える角度から、船は緯度を割り出すことができた。一方経度の測定には正確な時刻を知る必要からクロノメーターが開発されるとともに、時刻の基準すなわち「経度の基準」が必要になった。
++++そうなのか
年表
1675年: グリニッジ天文台 (Royal Observatory, Greenwich) 設立。
1714年: 経度法により経度委員会(英語版)と経度賞が設立される。
1924年: 2月5日に、1時間毎の時間信号(グリニッジ時間信号)が初めて放送される。
1948年: ハーストモンソーへの移設が始まる。
1957年: ハーストモンソーへの移設が完了し、王立グリニッジ天文台 (Royal Greenwich Observatory, RGO) と改称される。グリニッジの場所は旧王立天文台 (Old Royal Observatory) となる。
1990年: RGOはケンブリッジに移設される。
1998年: RGOが閉鎖される。グリニッジの場所は再びグリニッジ天文台 (Royal Observatory, Greenwich) となり、国立海事博物館(英語版)の一部となった。
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世界の時間を決めたグリニッジ天文台!ロンドン近郊の世界遺産「グリニッジ」はイギリスの神髄!
更新日:2015/07/06 17:24
渡部 洋一フリーライター、カメラマン
イギリスの首都ロンドンは、ヨーロッパを代表する一大観光地。ビッグベン(ウェストミンスター宮殿)やタワーブリッジ等、世界屈指の観光名所が聳え建つ市街地は、世界中の旅行者の憧れです。
しかし、実はロンドンはその郊外にも魅力的なスポットが点在しています。今回は、ロンドン中心部から電車で約15分、世界遺産にも登録されているグリニッジの街をご紹介します。世界の標準時を決めた天文台は必見です。
経度0o 0’ 0”の街「グリニッジ」
経度0o 0’ 0”の街「グリニッジ」
写真:渡部 洋一
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ロンドン中心部から東へ約5キロ、地下鉄で15分ほどの「グリニッジ」は、いかにもヨーロッパ風といった美しい街です。しかし、この街の魅力はその景観だけではありません。
グリニッジは、海軍学校が開かれるなど世界の海を支配した大英帝国イギリスの発展に大きな貢献を果たした港町。そして何より、子午線が通り世界の時刻を決めたグリニッジ天文台(旧王立天文台)で有名なイギリス屈指の観光地です。
北緯51° 28’ 38"、経度0o 0’ 0”に位置し、「グリニッジ標準時」で世界に知られるこの街は、「河港都市グリニッジ」として1997年、世界遺産にも登録されています。
世界の時刻を決めたグリニッジ天文台は、世界の中心!
世界の時刻を決めたグリニッジ天文台は、世界の中心!
写真:渡部 洋一
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世界遺産の街グリニッジを歩くなら、なんといっても外せないのが日本の学校の教科書でもおなじみの「グリニッジ標準時」で知られる、グリニッジ天文台(旧王立天文台)です。
経度0は、このグリニッジ天文台を基準に定められました。つまり、ここから東が東半球、ここから西が西半球。まさに「世界の中心」であり、愛を叫びたくなる場所でもあります。
世界の中心として、世界の時間を支配したグリニッジ天文台。イギリスを旅行するなら、ロンドンから少し足を伸ばして是非とも訪れてみたい観光名所です。
1時を告げる赤い球
1時を告げる赤い球
写真:渡部 洋一
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グリニッジ天文台の先端にある赤い球。一風変わった剣玉のようなこの球は、「Time Ball」と呼ばれる報時球で、天文台の名物です。
毎日13時直前になるとこの赤い球は風向計の部分まで上がり、グリニッジ標準時の午後1時丁度に落下します。可愛らしい赤い球は、落下の様子を見ようと1時を狙ってこの場所を訪れる旅行者も多い、グリニッジ天文台のシンボルです。
大英帝国の繁栄を支えた旧王立海軍学校
写真:渡部 洋一
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写真は、天文台と並んでこちらもグリニッジの街の象徴といえる、旧王立海軍学校です。
司馬遼太郎氏の代表作でNHKのドラマにもなった人気小説『坂の上の雲』の作中でこんな言葉があります。
「大英帝国の権威はその海軍によって維持されている」
イギリスが世界を支配する強国となった原動力は間違いなく海軍にあり、人材を輩出した旧王立海軍学校がこの国の歴史上非常に重要な役割を担ってきたことは疑いの余地もありません。グリニッジに天文台ができたのも、大英帝国の航海術の向上のためと言われています。
また、クリストファー・レンの設計による美しい建物の数々は芸術品としても見応え十分。現在は大学として使われている、バロック様式の傑作です。
パイレーツオブカリビアンのロケ地「ペインティッド・ホール」
写真:渡部 洋一
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現役の学校という性格上、旧王立海軍学校は全ての施設を見学できるわけではありませんが、いくつかの建物が一般に公開されています。
その中で特におすすめなのが、美しい天井画が見事な「ペインティッド・ホール」。実はここ、ジョニー・デップ主演の大人気映画『パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉』のロケ地としても知られています。圧倒的に芸術的であり、人気映画の舞台でもあるペインティッド・ホールは、グリニッジを訪れたなら絶対に抑えておきたいおすすめスポットです。
世界を支配したイギリスの神髄!グリニッジ天文台に行こう!
世界の海と時間を支配した大英帝国イギリス。その神髄に触れることのできる街、グリニッジの見所をご紹介しました。ロンドン中心部から約5キロ、小高い丘の上に建つグリニッジ天文台は、世界の中心として時を刻んだ、イギリスを旅行するなら外せない必見の観光名所です。
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グリニッジ標準時
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曖昧さ回避 「GMT」はこの項目へ転送されています。その他の用法については「GMT (曖昧さ回避)」をご覧ください。
グリニッジ子午線の基準になっている、グリニッジ天文台旧本館の窓。窓の中央の線がグリニッジ子午線である。
グリニッジ天文台にあるグリニッジ平均時を表す時計
グリニッジ標準時(グリニッジひょうじゅんじ)、グリニッジ平均時(グリニッジへいきんじ、イギリス英語: Greenwich Mean Time, GMT)とは[注釈 1]、グリニッジ天文台・グリニッジ子午線(経度0度)における平均太陽時(mean solar time)を指す。
かつてグリニッジ平均時は国際的な基準時刻として採用され、イギリスを含む世界各地域の標準時(standard time)もこれを基準とした。なお現在の国際的な基準時刻は概念を修正した協定世界時 (UTC) を用いている[注釈 2]。
こうした事情からUTCとGMTが近似的に同一視される事もある。 用語“G.M.T.”および“Z”(通話表で使用する語は Zulu)は、航法や通信の分野で UTC と一般的に同義語として認められる[3][4]。 また、GMT は時刻の最大精度が整数秒である法令、通信、民生用その他の目的では UTC の意味で使用される。一方、GMT は天測航法及び測量における暦の独立引数としては世界時の UT1 の意味で引き続き使用される。ただし、GMT は適切な名称(UTC、UT1 または UT)で置き換えられる[5][6]。
目次
1 平均太陽時
2 歴史
2.1 クロノメーターと航海暦
2.2 普及
2.3 天文時の廃止
2.4 世界時の成立
2.5 協定世界時との関係
3 イギリスの標準時
4 脚注
4.1 注釈
4.2 出典
5 参考文献
6 関連項目
7 外部リンク
平均太陽時
詳細は「平均太陽時」を参照
グリニッジ平均時は伝統的に経度0度と定められているイギリスのロンドンにあるグリニッジ天文台での平均太陽時(Mean solar time)である[7][6]。
歴史
クロノメーターと航海暦
イギリス帝国が海運国家として発展すると、1714年に経度法が制定され海上における経度発見法が盛んに研究されるようになる。1761年、ハリソンが温度や揺れに強いクロノメーターを開発する。また、1765年にネヴィル・マスケリンがグリニッジ天文台台長に就任すると、直ちに航海用に一年間の航海暦の編纂に着手し、1766年に初めて翌年の航海暦を「海上に於ける経度発見法委員会」から刊行する[8][9]。
すると、イギリス船の船員達は航海中にグリニッジ子午線からの現在の経度差を計算するために、自分達の時計をグリニッジ平均時(GMT)に合わせるようになった。ただし、船上で通常の生活用途に使われる時計には、従来通りに船上の太陽時が用いられた。この習慣と、他国の船で使われていたネヴィル・マスケリンの月距法(航海暦に掲載される天体の視位置と船上での月の観測位置から経度を求める方法)とが結び付いて、やがて GMT は海域における世界共通の経度によらない基準時刻として使われるようになった。
普及
1884年にワシントンD.C.で開催された国際子午線会議でグリニッジ子午線が本初子午線として採択されると、陸域でもほとんどの国の時刻帯はこのGMTを基準とし、それから数時間だけ進んだ(または遅れた)時刻を標準時として採用した。 1911年には、パリで開催された国定暦本編製に関する国際的な天文学者会議で、事情の許す限り、全ての暦にグリニッジ時を標準とするものを用いることが決議される[10]。 1912年10月、パリに於ける万国協同報時法会議で、無線電信による報時の統一が可決され、1913年7月1日からは皆グリニッジ時(常用時)による事になる(日本は不参加)[11]。 1918年、当時は大洋を航行する艦船においては(経度測定用のクロノメーターとは別に)日常使用する時刻を毎日正午に船の位置する(と考えられる)子午線の地方時に合わせていたが、イギリスの通商部においてこの慣習を改めて海上においても、陸上において当時の多くの国が採用している標準時と同様な時刻系を採用することの可否について関係者の詳細な意見を集めた[12]。 1926年10月、11月に、国際天文学連合 (IAU) と国際測地学・地球物理学連合 (IUGG) の主催で万国経度観測が実施され(日本も参加)、この際に無線電信より国際報時局(BIH、現IERS)の学用報時と同じ形式でグリニッジ平均時が発信され、その時差を測定することにより経度が比較された[13][14]。 こうして、19世紀から1920年代までにグリニッジ平均時は航海以外の、暦や天文学、報時、測地学などの分野でも世界共通の経度によらない基準時刻としての実績をあげていった。
なお、グリニッジ天文台からの時報は1924年2月5日に初めて開始された。
天文時の廃止
天文学者はクラウディオス・プトレマイオスの創始以来、1日の始まりを正午とする「天文時」(astronomical time)を使っていた。これは夜間観測中に日付けが変わる不便を避けるためであった[15]。
しかし、1917年にイギリスにおいて航海者から、航海暦に記載されている天文時を廃止して日常使用する常用時に統一すべきとの議論が盛んになった。航海者側の苦情の理由は、天文時と常用時を併用すると計算が不必要に複雑となることや、間違いやすいことであった。この様な苦情は、第一次世界大戦中で何事も簡明早急を要することから、当局者の注意を引いた。
その結果、イギリスのフランク・ダイソン及びハーバート・ターナーがこれに関して賛否の意見を各国天文学者に求めることになった[16]。 そして1919年に、アメリカ合衆国、イギリス及びフランスの合意により、1925年1月1日から天文日を常用日と等しく正子(真夜中)から数えることに決定し、各国の天文暦もその方針に従って編成されることになった[17]。
1921年にこの変更に関して、変更前と同様に G.M.T.(グリニッジ平均時)と呼ばれると混同する事があり不都合であるとして、トリニティ・カレッジ教授のヘンリー・プラマーなどは正子から数える時を G.C.T.(グリニッジ常用時、Greenwich Civil Time)または G.S.T.(グリニッジ標準時、Greenwich Standard Time)と記すべきであると主張した。これに対して、グリニッジ天文台長のダイソンは、既に一般社会では G.M.T. が正子から始まる時刻として定着しており、航空省が気象電報を発するときに用いる G.M.T. も正子に始まる時刻であるし、またイギリス陸軍が24時間制を採用[18]して以来午前と午後の代わりに呼ぶ時刻はグリニッジ平均時であるとして一蹴した。パリ天文台のギヨーム・ビゴルダンは、「天文学者が誤解のおそれがあるときは G.M.T. (Civil) と書くことができるし、一般市民が正子から始まると信じているのに天文学者が、それは正午に始まると規定したのだと力んでもしかたがない。単に衒学的だと失笑されるだけだ。G.C.T. や G.S.T. などはよくない(G.S.T. は夏時間と間違う)」などと反論していた[2]。
その後、1922年5月にローマで開かれた第1回国際天文学連合 (IAU) の決議によって、プトレマイオス以来、千数百年間にわたって慣用されてきた天文時を1925年1月から万国一斉に廃止し、12時間繰り上げて正子に始まる常用時を天文学でも用いるようになった[19]。
ただし、ユリウス日については、1925年以降もその始まりを正午とし続けていることに注意が必要である。
世界時の成立
詳細は「世界時#歴史」を参照
1925年の国際天文学連合 (IAU) 第2回会議で、従来までの正午からの G.M.T.(グリニッジ平均時)と区別して、正子から始める時に別の名称をつける提案が議題となり賛否の意見が闘わされる。しかし、会議では呼称については未定で、ユリウス日 (JD) は正子から始めずに正午から始めることになった[20]。 その後、1928年の国際天文学連合 (IAU) 第3回総会で、「用語 グリニッジ常用時(英: Greenwich Civil Time (G.C.T.))、および世界時は正子より計るグリニッジ時を明確に示す」ことが決議された。天文学者はどちらの意味でも G.M.T. の語を使用しないことが勧告され、特にグリニッジ正午より計った時を用いることを望む場合は、グリニッジ平均天文時(英: Greenwich Mean Astronomical Time (G.M.A.T.))とすることなる[21][22]。 さらに1935年の国際天文学連合 (IAU) 第5回総会で、正子から数えるグリニッジ平均時 (G.M.T.) に、「世界時」を国際的に使用することを採択し、将来はグリニッジ常用時 (G.C.T.) という用語を使用しないことが決議された[23][24]。 そして、1948年の国際天文学連合 (IAU) 第7回総会では、第4委員会(天文暦部)は、天文学者がグリニッジ正子より起算した平均太陽時を示す際に、名称「世界時」だけを使用することを勧告する[25][7]。 こうして、天文学者が使用する用語はグリニッジ平均時から世界時に移行したが、一般市民は常用時としてグリニッジ平均時の語を引き続き使用する。
協定世界時との関係
1970年に英国ブライトンで開催された国際天文学連合 (IAU) 第14回総会において、第31委員会(時)の決議で採択された勧告6.2で、用語“G.M.T.”および“Z”は、航法や通信の分野で協定世界時 (UTC) と一般的に同義語として認められる[3][4]。
1972年1月1日からは、一般市民が使用する常用時としてのグリニッジ平均時 (GMT) は協定世界時 (UTC) として定義されており、閏秒の挿入または減算による現行の調整方法が採用されている。
なお、1976年にグルノーブルで開催された国際天文学連合 (IAU) 第16回総会において、第4委員会(暦)及び第31委員会(時)の共同決議第1号で、グリニッジ平均時 (GMT) と世界時 (UT) の使用に関する明確化の望ましさを考慮し、GMT と UT は時刻の最大精度が整数秒である法令、通信、民生用その他の目的では UTC の意味で使用されること、また、GMT と UT は天測航法及び測量における暦の独立引数としては世界時の UT1 の意味で引き続き使用されることを指摘した。これらを踏まえて、UT0、UT1、UT2 および UTC の区別が必要ない場合には、それらの代わりに UT が使用され得ることを認める一方で、GMT は適切な名称に置き換えられることが強調される[5][6]。