金生遺跡を世界遺産 世界標準時の天文台にしよう会

東の日の出が見えなくされていた状況

金生遺跡の日の出に関して、冬至と立春の日の出位置は、遺跡整備で隠す意図があったのではと考える。
立秋の日の出位置は、そこまでの考えは及ばず、知らなかったものと思う

冬至の日の出
モニュメントの男根型石棒が、当に冬至の日の出位置に置かれているため
大配石には冬至日の日の出の初光が絶対に届かないようにされている
何故なのか、これは今もこのままで変わっていない。
この遺跡の冬至との関係を隠すために、正確に設計していたのでは無いのか、それはこの遺跡が冬至を山裾に何故設定しているか、その理由を想像できなかったためでは無いかと思う。

 


茅が岳が隠されていた
大木により日の出位置の茅が岳の方向は覆われてしまい、日の出の初光が見え難くされていた
何故なのか
立春の日の出はこれにより極めて見にくくされていた
見ようとする人が居たとしても、
これでは見ようとする意欲を無くしてしまうでしょう
これほどに隠し続けていたのは何故なのか。

 

 

飯盛山の日の出
ここは建物と生け垣の雑木で周囲が見えないようにされていた
建物の取り払いと生け垣の手入れで整備され、周りの眺望が見え、山脈が見えるようになり
確認できた
こちらは元々は隠す意図は無かったように見えるが
冬至や立春の位置とは違い、この日の出のことは考えても居なかったものと思う

         立秋日の出方位の生け垣と雑木、建物


冬至の日の出は、前後10日ほどは同じ位置からの日の出となるので、縄文人には日の出を見て、冬至の暦日は判別できなかったものと考える。
世界の何処でも、冬至や夏至の時期には、その期間10日間は、お祭りにするなどの扱いで、同じような状況にあったようだから。
暦の開始点は春分、立春などが適切な基点とされていた。
つまり縄文時代には、後のチャイナで二分と四立と呼ばれたものが、暦作りの原点とされた
縄文時代の冬至夏至は暦を知っていたというには・・・


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