縄文時代早期の数字 6 の認識は世界最早の記録ではないのか
縄文海進とは、縄文時代が全般に温暖化したことによる海面上昇です。
旧石器時代が終わる約19000年前から始まり、約6000年前にピークとなりその後は弥生海退が起こります。
日本沿岸で縄文海進が起こった原因は、19000年前から始まった気温上昇により黒潮の海流の方向が変化し日本列島に近づいたため、日本が温暖化しました。
そのため、温暖化と海面上昇が同時に起こり、日本列島では縄文海進として海面上昇が他地域とくらべて大きくなったといわれ、縄文時代の特徴となるもののようです。
縄文時代前期は約7000年前~5500年前の期間です。
縄文時代早期はこれ以前にあたるものです。
縄文海進
関東平野は、今の埼玉県大宮あたりまで海だったそうです。
貝塚
関東平野もほとんど海の中か湿地だったようで、千葉、茨城、群馬あたりが栄えたのでしょう。
群馬県から古墳が見つかるのもそのためでしょうかという。
海辺
6波状突起口縁の土器があるのは
二至が分かり
半年 182日 月の周期 30日 半年月相周期 6回
縄文時代早期にはここまで分っていた
これは世界史の中でも 6の認識の記録として、世界で最早期なのではないか、シュメールの60進法の起源となる 6の起源としても充分可能なのではあるまいか。シュメールの歴史では 6の起源が不明とされているようだが、縄文時代が起源とすれば分かり易くなる。
追加して
2,4,8 これらの数字についても同様では無いか
文字の無い時代の記録を残す方法として、粘土を成形して数字を記録に残すという方法は、縄文時代の早くから取り入れられた縄文文化の特徴的なものでは無いのだろうか
写真と図はお借りしました
引用ーーーーーーーーーーーーーー
60進法…
60進法ができた起源はなんですか?1年365日からとしても、どうして6で割ったかが分かりません。
60進法ができた起源はなんですか?https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q146780049
…バビロニアで60進法が使われていたようです。
当時は、小数や分数はなかったので、割り切れる数字が大切でした。
60は2でも3でも4でも5でも6でも、そして12でも割り切れます。
それをどう使っていたかは、だれもわからないでしょうね。
それが、エジプトやギリシャに伝わり、12進法が生まれたとされています。
…60という数字はとても便利な数字です。
約数として2,3,4,5,6,10,12,15,20,30があり、
分割して考える時に便利になるのです。
シュメール人は、時計に使われる『60進法』(60で1繰り上がる)や1週間を7日とする『七曜制』を 決めました。http://www.kunitachi.ed.jp/jh01/vcms_lf/1syakaiidokeidokairi.pdf