引き籠もりとなり
家から車で遺跡に出掛け
日の出を見る
時間も日の出のみの限られた時間です
そしてその時間に、家から外に出ている人との会話
この程度の限られた空間で生活することになりました
遺跡で日の出に会った人は本当に限られた数人です
これが行動できる空間移動の唯一の道となりました
空間移動ではこのように限られた空間ですが
これによりタイムマシンを手に入れることになりました
4、500年前から12、000年前、30、000年前、200、000まで
このように広大な時間の旅行をすることが出来ました
特に4、500年前までの時間旅行は、
ほんの数年前までは2,000年前までの歴史を知る程度でした
最大の到達時間旅行は、12,000年前です
タイムマシンで知ることが出来た先史時代の文化は
文明の発祥です、現代文明に辿り着いた先史時代
文明の始原は何処か
判別項目 縄文 シュメール ナトゥーフ
文字 なし あり なし
お金 なし △ なし
数字 あり あり なし
土器 あり あり なし
太陽暦 あり △ なし
太陰暦 あり あり なし
農耕 あり あり
貝塚 あり △ なし
豊かな森 あり あり
豊かな海 あり あり なし
この判定は独自のものです
これで見れば分るように、ナトゥーフ文化には文明に見える項目はまだ少ないようです
ナトゥーフ文化には豊かな森があり、それを基盤にして定住出来た
縄文文化の発展は豊かな森と豊かな海辺により定住が開始できた
その後のヤンガードリアスの期間により
ナトゥーフ文化は崩壊する
縄文時代早期の文化は寒冷化はそれほど酷くなく、辛うじて生き延びていた
その後ナトゥーフ文化の子孫は小麦の農耕を始めている
縄文時代早期には雑穀農耕を始めている。地形的利点にある縄文文化は、太陽観測により半年182日を知り、二至の太陽暦が開発できて、適切な季節に種を播くことが可能と出来た
そしてこの後に発展できたのは太陽暦と太陰暦を持つ縄文時代前期の文化
ナトゥーフ文化の子孫は太陽暦を開発できた様子は無い
その後ナトゥーフ文化を受け継いで、発展したのはシュメール文明とエジプト文明となる
縄文時代には縄文中期に大発展した
しかし巨大な廃虚を残すような大都市文化では無かった
数字はあったものの文字は無かった
農耕も単一作物集約生産はせず、正確な太陽暦により多種類の雑穀農耕
自然に対して大規模な改変はせず、それを行う規模の王は誕生していなかった
3、000年前には、チャイナなどからの
移住民の持つ稲作単一作物集約生産の集団の力の支配により
縄文文化は太陽暦と伴に消滅していた。
稲作単一作物集約生産では正確な太陽暦は必要で無く
太陰太陽暦などの王権支配に都合の良い暦により支配の手段に変えられることにより
縄文文化の栽培暦は、立春から八十八夜、二百十日などの雑節として残るのみで
暦から抜け落ちてしまった。それから3、000年、現代文明は地球環境まで変える所まで来て、しまった。地球の生命環境を左右する所まで来てしまったのだろうか。
図はお借りしました