土偶の歴史年表
土偶、土製品 具象的土製品 抽象的土製品
乳房のトルソ土偶 見えない何かを表現
精霊 ・・に手足を付けた
抽象的な土偶が造られるのは、生業が早期に完成して、それを引き継いだ前期からになる。前期の土偶は、見えない何かを表現するために、具象からどのように表現するのか、形成できていないようだ。
前期土偶 なんだか分らないもの
見る限り土偶とは
人間の女性を表していたものでは無い
土偶と石棒が遺跡から一緒に出土するならば、一緒に用いられたと考えることができます。しかし、実際にはともに出土することはあまりありません。土偶は土偶だけ、石棒は石棒だけで発見されるのです。
石棒は「土器埋設遺構」と呼ばれるものの中で土器とワンセットで出てくることがよくあります。という
中期の土偶の多くは基本的にお腹が大きく、妊産婦の特性なり機能を表現してはいます、女性、そして妊娠・出産という側面が介在していますが、それは人では無いのでは。
見えない何か 精霊 悪霊 --- 対象物 具体的なもの --- 土偶 --- 縄文人達
例えばクルミや農耕
クルミの不作をもたらした悪霊に対して、土偶を見せることにより
悪霊に脅威を与え、対象物から悪霊が離れ、良くなってくれることを願うという構造では無いだろうか
中心は農耕の生産が良くなるようにと言う願いを掛けていたと云うことでは無いだろうか。
方相氏のイメージ 追儺
願いは豊穣、象徴は乳房や腹の膨らみ、大きな脚やお尻などの母性により示していた。
向こうにいる悪霊は全てを支配するものとして、土偶の表現は変化してきたのでは無いか
しかし集権国家に結晶化できなかったので、あちらにいるものは集中させることが出来ていない
つまり神や仏像に抽象化する前の姿を示していたのでは無いか
土偶の造形の歴史的変化から、神などに纏まってきた思考や精神の進展、進化を追跡することが出来るのでは無いだろうか。
図はお借りしました
引用ーーーーーーーーーーーーーー
●縄文土器は男性性と女性性の二項対立という構造を持っている
土偶と石棒が遺跡から一緒に出土するならば、一緒に用いられたと考えることができます。しかし、実際にはともに出土することはあまりありません。土偶は土偶だけ、石棒は石棒だけで発見されるのです。
あるいは、石棒は後述しますが「土器埋設遺構」と呼ばれるものの中で土器とワンセットで出てくることがよくあります。
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土偶は、第二の道具の典型例です。
先ほどから説明している、石棒も第二の道具の典型例です。
この第二の道具を詳しく見ていきましょう。石棒はいわばファロス、男性器の象徴です。対して土偶は、基本的には女性です。関東から中部高地にかけて出てくる中期の土偶の多くは基本的にお腹が大きく、妊産婦を表現しています。
男性と女性、そして妊娠・出産という側面が介在しています。このような女性性や男性のシンボルが、第二の道具の中では全面的に押し出されているのです。先ほどから説明している通り、土偶や石棒は、男性性や女性性の象徴であり、縄文時代の精神文化を形成する、最も代表的なものであるといえます。
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女性をかたどったものには女性の性徴、すなわち乳、腰などを誇張した例もあり、また明らかに妊娠している女性をかたどったものもある。縄文時代には農業は行われていないから、これらの女性像が耕作の豊穣を祈ったとは考えられないが、縄文人は女性に対して何らかの特別な思いを抱いていたのだろう。そう考えなければ、彼らが何故女性像ばかり作ったのか説明ができない。