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いじめ

2017-10-29 19:58:52 | 日記・エッセイ・コラム
いじめ
 テレビや新聞にいじめのレポートが繰り返されている。
ここに私の接した一つの過去の出来事を紹介したい。
 世界的なベストセラーとされている往年の国際連合事
務総長ダーグ・ハマーショルドの「道しるべ」という著
作がある。日本ではみすず書房からその翻訳が出版され
ていて、今でも新刊書として購入できる。
 その中にハマーショルドがいじめにあったということ
が記されている。「道しるべ」の中にはハマーショルド
が詠んだという俳句類似の三行詩が百あまり採録されて
いる。その一つに
  横面を張られて、少年は知った、
  ――父の名が彼らにとって
  憎くてならないのを。
と訳者鵜飼信成が翻訳した詩がのっている。これをハマ
ーショルドは俳句として作詩している。理由は、全体が
三行の短文からなり、全体の音節の数が一七にしてある
からである。このスウェーデン語の原文は五ー七ー五
の形式に近づけた文型で作詩されているのである。これ
を私は俳句風に
  平手打ち/父の名憎む/人知らす
と翻訳してみた。本当はここで原文や英訳文を紹介した
いのだがブログの性質を考えやめにする。、
 この句についてはファルクマンの解説がその著書に載
っており、それによると、ハマーショルドの父、ヒャル
マール・ハマーショルドは、国際法の専門家として知ら
れ、政党所属のない保守派の政治家として第一次世界大
戦下のスウェーデン政府で首相を務めた。そして、彼は
スウェーデンの中立政策を頑なに護り通したといわれる。
これにより中立に反対する諸国からの厳しい批判に晒さ
れた上、国内ではフンガーショルド(フンガーは飢えを
意味する)と仇名され、反対派からの激しい攻撃を受け、
苦しい立場に置かれたという。
 こうして、ダーグ・ハマーショルドは、ヒャルマール
の子として周囲の憎しみの対象になったというのである。
ファルクマンは、ダーグを殴ったのは学校の教師であっ
ただろうと推測している。
 この他にも学校で他の生徒から遊んでもらえず、いわ
ゆるいじめの対象になっていたことを示す俳句が存在す
る。ハマーショルドがどのようにいじめを乗り切ったか
具体的なことは分からないが、今日本でいじめにあって
いる生徒の記事をみて、それが決して特別なことではな
く、いつの時代、どこの社会にもあることだということ
を頭において問題を考える必要があるとしみじみと感じ
るのである。

 文献研究

2017-04-06 19:37:54 | 日記・エッセイ・コラム
 四月三日津田塾大学でフィンランド独立百周年記念講演会の案内を受け参加した。
 二人のフィンランド人講師によるフィンランド美術及び文献研究の講演があった。筆者は、この後者に強い興味を覚えた。
 講演の内容は、フィンランドで出版されているあらゆる種類の文献を整理し、これをフィクションとノンフィクションに分けて分析するというものであった。
 日本では聞いたことのない研究であった。しかし、残念だったのは筆者が筆記用具を用意していなかったことで、講演の内容全体を自分なりに記録することができなかったことである。
 以下は、その際筆者の記憶に残ったことに関する感想である。

 筆者の興味を特にひいたのは、フィンランド出版物の60%余りはノンフィクションであるということであった。しかも、講師によれば日本ではその比率が90%に達するというのである。
 また、ノンフィクションの中で順位付けを行うと、フィンランドでは一位は伝記物であるのに日本では社会科学物であること、そしてニ位はどちらの国でも芸術に関するものであるという。
 これが、最も筆者の記憶に残ったことで、他の非常に興味深い内容でありながら、帰宅後思い出すことができなかった。

 何故この部分のみが記憶に残ったのか。筆者の思いついたことは、日本人の伝統的な一般民衆の中にある実務志向の考え方である。江戸時代以降日本には「読み・書き・そろばん」という標語があった。世間を世渡りするのに誰でもが身につけておくべき基本教養である。
 古くから日本人の識字率は極めて高い。ほとんど百パーセントに近い識字率を日本は維持している。一般的にみて誰もが字を読み、字を書き、数を数えることができるのである。例えば、職探しを考えてみよう。求人広告は通常文字で書かれている。字を知らない人は、文字が読めないために求人広告が理解できない。つまり、職を獲得することができない。これだけでも識字率の重要性が理解できると思う。
 このことが、ノンフィクションの出版物が90%であるということと深く関わっていると思うのである。実務的志向と筆者が上で述べたのは、これをいいたかったのである。
 そして、社会科学のノンフィクションの比率順位である。これも同じ事情を物語っている。人物の伝記物が順位一位というのは、人間の生き方に対する興味が大変深いということと関係がある。その分世渡りの技術への興味が薄いといえるであろう。理想の人物よりも今を上手に生きることが日本人には重要なのだと。

 以上が感想である。非常に大雑把な文章なので、批判されるべき点が多いとは思うが、フィンランドの極めてユニークな研究に接して、どうしても一言したくて、一筆し、フェイスブックとブログに投稿した次第である。


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2016-12-31 19:04:35 | 日記・エッセイ・コラム
私がブログを始めて何年にもなるが、最近友人からわたしの過去のブログについて閲覧したいという連絡があった。早速ブログのアドレスを知らせることとして、彼のテーマとの関連を考えて、私の過去のブログを見直そうとした。しかし、当てはまるものが見つからない。これからツイッターを調べることにしたが、これまで実に大量のブログを自分が投稿していたことに気づかされた。忘れてしまったものも多数あり、われながら驚いている。こうして、過去の自分の意見表明の客観化と反省にブログが意外に有効な手段になりえることに気づいた。

幼な子

2016-10-30 21:09:01 | 日記・エッセイ・コラム
 先日のブログ(2016.10.15)で非言語的コミュニケーションという社会学ないし社会心理学の専門用語を使用した。ブログで使用する語としては一般性がなく、不適切だった。
 これについて少し考え、以後は「身振り手振り」という語を使用することにする。つまり、言語を使用せず人との意思疎通を図ること(即ち、コミュニケーション)を「非言語的コミュニケーション」というからである。

幼な子

2016-10-22 22:24:51 | 日記・エッセイ・コラム
 これは、私の幼児記憶である。
 私が3・4歳のころのことである。何故この記憶がのこっているのか分からないが、母親の布団つくりを傍で見ていたところ、手伝ってねといわれて、作成中の布団の片端を母親の言うとおりに両手で握って引っ張ったことがある。
これだけで記憶は終わりであるが、その頃の多くの母親は我が家の布団を自分で作っていたのではないかと思う。
 もひとつ時代をさかのぼると、蚕を飼って糸をつむぎ、それを布にして、更に着物を仕立てる。こういたことも、かつては家事の範疇に入っていたと思う。
 家で使ういろいろなものを自分で作るのは当時では当然であったのかもしれない。いわゆる「家事」とは広がりの大きい手仕事だったのかと思う。
 その手間が省けて今や女性が大規模に社会に進出している。母子関係も今や保育関係の発生で質的変化を遂げているようである。単なる老人の懐古的なつぶやきかもしれないが、ブログに書いておきたいと思ったのである。