先日テレビでS社の出版した小学校1年生用の教科書の挿絵に誤りがあり、印刷をやり直したという報道があった。その中に誤りの発見はS区の小学校の教室、とあった。詳細は分からないが、恐らく1年生の生徒の誰かが発見したものと推測した。というのは、子供の観察眼の鋭さに感心することが多いからである。かなり前のことだが、知人のお宅にお邪魔した時、こども相手に蝶の図柄を書いたことがある。そのときモンシロチョウのつもりで羽に丸を一つかいところ、その子は、それ以後親の描く蝶の羽に必ず丸じるしを要求したというのでる。私の書いた丸の印象がその子には非常に強烈だったのであろう。どのような図柄が、どの程度強い印象をこどもに与えるのか私には分からないが、そうしたことがあることは事実だと思う。今回の教科書のあやまりの発見は、ある子供があの絵からある強い印象を得たことと関連があったのではないだろうか。
今回は私自身の記憶について書く。小学2年か3年のとき、海で溺れかけた記憶である。
房総の海で波乗りをしていたとき、大波にさらわれたのである。体が海底をゴロゴロ沖の方に転がっていくのがはっきりわかった。突然寄せ波が来て私の体は浜に打ち上げられた。立ち上がると水は踝くらいの高さだった。音(波の音も)は何も聞こえず、すべてがとまっているようだった。その先の記憶は何も残っていない。不思議だったのは水をまったく飲んでなかったことである。その間どれくらいの時間がたっていたのかわからないが、呼吸を全然していなかったのである。口にも胃にも肺にも鼻にも水はなかった。
房総の海で波乗りをしていたとき、大波にさらわれたのである。体が海底をゴロゴロ沖の方に転がっていくのがはっきりわかった。突然寄せ波が来て私の体は浜に打ち上げられた。立ち上がると水は踝くらいの高さだった。音(波の音も)は何も聞こえず、すべてがとまっているようだった。その先の記憶は何も残っていない。不思議だったのは水をまったく飲んでなかったことである。その間どれくらいの時間がたっていたのかわからないが、呼吸を全然していなかったのである。口にも胃にも肺にも鼻にも水はなかった。
エレベータの中へ、乳母車に乗った幼児が入って来た。丸顔に眉は逆八の字、丸い目は鋭く、私は「将来日本を背負ってたつ。」と呟いた。これを聞いて周囲の数人が頷いた。母親は「そんな」と謙遜の表情。そのまま扉が開き、皆散っていったが、少し離れたところから「日本を背負って立つか」という父親の何か嬉しそうな声が聞こえてきた。
ある日混んでいるエレベータに母親が女の子を抱いて乗ってきた。女の子は激しく泣き叫んでいた。たまたま私とその子が向かい合ったとき、私は「どうしたの、そんなに大きな声を出して?」とその子に声をかけた。その子は、すっと泣き止み、まぁるい目を真丸にして私を見つめ、それから母親の胸に顔を伏せてしまった。その背中に私は「ママのいうことを聞いて良い子だね。」と声を重ねた。やがてエレベータの扉が開き、皆散っていった。