四月三日津田塾大学でフィンランド独立百周年記念講演会の案内を受け参加した。
二人のフィンランド人講師によるフィンランド美術及び文献研究の講演があった。筆者は、この後者に強い興味を覚えた。
講演の内容は、フィンランドで出版されているあらゆる種類の文献を整理し、これをフィクションとノンフィクションに分けて分析するというものであった。
日本では聞いたことのない研究であった。しかし、残念だったのは筆者が筆記用具を用意していなかったことで、講演の内容全体を自分なりに記録することができなかったことである。
以下は、その際筆者の記憶に残ったことに関する感想である。
筆者の興味を特にひいたのは、フィンランド出版物の60%余りはノンフィクションであるということであった。しかも、講師によれば日本ではその比率が90%に達するというのである。
また、ノンフィクションの中で順位付けを行うと、フィンランドでは一位は伝記物であるのに日本では社会科学物であること、そしてニ位はどちらの国でも芸術に関するものであるという。
これが、最も筆者の記憶に残ったことで、他の非常に興味深い内容でありながら、帰宅後思い出すことができなかった。
何故この部分のみが記憶に残ったのか。筆者の思いついたことは、日本人の伝統的な一般民衆の中にある実務志向の考え方である。江戸時代以降日本には「読み・書き・そろばん」という標語があった。世間を世渡りするのに誰でもが身につけておくべき基本教養である。
古くから日本人の識字率は極めて高い。ほとんど百パーセントに近い識字率を日本は維持している。一般的にみて誰もが字を読み、字を書き、数を数えることができるのである。例えば、職探しを考えてみよう。求人広告は通常文字で書かれている。字を知らない人は、文字が読めないために求人広告が理解できない。つまり、職を獲得することができない。これだけでも識字率の重要性が理解できると思う。
このことが、ノンフィクションの出版物が90%であるということと深く関わっていると思うのである。実務的志向と筆者が上で述べたのは、これをいいたかったのである。
そして、社会科学のノンフィクションの比率順位である。これも同じ事情を物語っている。人物の伝記物が順位一位というのは、人間の生き方に対する興味が大変深いということと関係がある。その分世渡りの技術への興味が薄いといえるであろう。理想の人物よりも今を上手に生きることが日本人には重要なのだと。
以上が感想である。非常に大雑把な文章なので、批判されるべき点が多いとは思うが、フィンランドの極めてユニークな研究に接して、どうしても一言したくて、一筆し、フェイスブックとブログに投稿した次第である。
二人のフィンランド人講師によるフィンランド美術及び文献研究の講演があった。筆者は、この後者に強い興味を覚えた。
講演の内容は、フィンランドで出版されているあらゆる種類の文献を整理し、これをフィクションとノンフィクションに分けて分析するというものであった。
日本では聞いたことのない研究であった。しかし、残念だったのは筆者が筆記用具を用意していなかったことで、講演の内容全体を自分なりに記録することができなかったことである。
以下は、その際筆者の記憶に残ったことに関する感想である。
筆者の興味を特にひいたのは、フィンランド出版物の60%余りはノンフィクションであるということであった。しかも、講師によれば日本ではその比率が90%に達するというのである。
また、ノンフィクションの中で順位付けを行うと、フィンランドでは一位は伝記物であるのに日本では社会科学物であること、そしてニ位はどちらの国でも芸術に関するものであるという。
これが、最も筆者の記憶に残ったことで、他の非常に興味深い内容でありながら、帰宅後思い出すことができなかった。
何故この部分のみが記憶に残ったのか。筆者の思いついたことは、日本人の伝統的な一般民衆の中にある実務志向の考え方である。江戸時代以降日本には「読み・書き・そろばん」という標語があった。世間を世渡りするのに誰でもが身につけておくべき基本教養である。
古くから日本人の識字率は極めて高い。ほとんど百パーセントに近い識字率を日本は維持している。一般的にみて誰もが字を読み、字を書き、数を数えることができるのである。例えば、職探しを考えてみよう。求人広告は通常文字で書かれている。字を知らない人は、文字が読めないために求人広告が理解できない。つまり、職を獲得することができない。これだけでも識字率の重要性が理解できると思う。
このことが、ノンフィクションの出版物が90%であるということと深く関わっていると思うのである。実務的志向と筆者が上で述べたのは、これをいいたかったのである。
そして、社会科学のノンフィクションの比率順位である。これも同じ事情を物語っている。人物の伝記物が順位一位というのは、人間の生き方に対する興味が大変深いということと関係がある。その分世渡りの技術への興味が薄いといえるであろう。理想の人物よりも今を上手に生きることが日本人には重要なのだと。
以上が感想である。非常に大雑把な文章なので、批判されるべき点が多いとは思うが、フィンランドの極めてユニークな研究に接して、どうしても一言したくて、一筆し、フェイスブックとブログに投稿した次第である。
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