大阪ハイテクノロジー専門学校に通ってた頃、学校が始まるので大阪にもどってきたのが15日。
えらく寒い日が続いていた。
そして、1月17日早朝・・・・・
朝方ふと目が覚めたのだった。
窓から外を見ると、ラブホテル大陸のネオンが火花散らしている。
空は紫色に変色しており、異様な感じだった。
寝っ転がって布団に入ったが、5分もしないうちに『ゴゴゴゴゴゴゴ』って地鳴りがしてきた。
その後細かい揺れが来て、続いて大きい揺れがきた。
立ち上がろうとしたけどダメだ。揺れに任せ転がされていた。
そこらでガッシャーンとかバーンとか音がしていた。
蛍光灯の傘が天井に着くくらい振っている。
窓が自動ドアのように開閉している。
長い時間揺れていたように思えた。
やっと揺れが収まって、室内の現状を確認した。
まずラジオつくかどうか。OK
電気は来ている。
ならば、TVはどうか。
神戸が大変なことになっていた。
台所に行こうとしたら、中部屋の押し入れに入れてあった酒の瓶が割れて散乱していた。
台所に行くと蛍光灯をつっていた片方の鎖が外れてぶら下がっていた。
水来ているか確認。OK
ガスはカセットコンロだからOK。
とりあえず、余震がきたら閉じこめられる可能性があると親から聞いていたので、窓を全開にしていた。
めっちゃ寒いので、ストーブとTVつけて夜明けを待った。
一番気になったのは、神戸に住んでいる後輩のSSKの安否だった。
もちろん電話は通じない。
9時頃まで公衆電話からかけたがダメで、実家の方にかけたら繋がった。
なんとか無事だった。
生活のこともあって、バイクで迎えに行こうと思ったが、大学の用事で神戸を離れられないと言っていた。なので、やばいと思ったら連絡くれと言っておいた。
とりあえず、コンビニ行ったら水、おにぎり、パンすべて売り切れ。
適当に弁当見つけて買って食った。
夕方親父と姉がやってきた。
灘に住んでる親戚に救援物資を持っていった帰りだという。
ラーメンの5食入りをおいていってくれたので、助かった。
神戸方面は電柱がクロスするように倒れ、電線が垂れ下がり瓦が散乱していて、爆撃の後の用だと言っていた。
ニュースでは伊丹駅の駅ビルがだるま落としみたいにストンと落ちて
派出所がつぶれて警官が死亡したとか言っていた。
飛行場はさんで向こう側やし、怖かった。
次の日、大学の友人HIDEがバイク乗ってやってきた。
神戸の友人に会いに行く前に寄ってくれた。
戻ってきたので話を聞くと、道が波のようにうねっていたそうだ。
次の日学校行こうと思ったら、阪急JR共に運休だった。
なのでバイクで新大阪まで行って学校まで行った。
電車が開通するまで休校とのこと。
何人か生徒が犠牲になったらしい。
それでとりあえず家戻って、ゆっくりしていた。
1週間後阪急が先に開通した。
それで学校にいこうとしたら乗らないでくださいとのアナウンスが流れた。
何事かと思ったら、JRの通勤客がこちらに流れてきていたのだ。
そしてなんとか乗り込み、外を見ていたらありえへん光景が目に入ってきた。
家の真ん中が凹んだのが至るところに見える。
全壊家屋もたくさんある。
いっぱい人が亡くなってんなあと実感した。
その週末に家の周りの人たちが去っていった。
斜め向かいのアパートは半壊状態でヒビだらけ。
向かいの家もヒビが見えて居住不可能。
うちは瓦ずれただけの被害だった。
部屋のTVアンテナが入居時から倒れたままだったのだが、直してくれってまえに電気屋に言ったら、2万円かかるって言われていた。
それで、震災で瓦がずれたために大家さんがアンテナをついでに直してくれた。
今思えば貴重な体験したと思い、よく命があったと思う。
SSK曰く、本が飛びまくって死ぬかと思ったそうだ。
彼は運良く山側に住んでいた。海側なら命無かったであろう。
今日TVドラマで神戸新聞のドラマやってたけど、当時大学で一緒だったしばちゃんが勤めていたのが神戸新聞だった。
ヤツの消息は未だつかめていない。
何日かして、近所の銭湯に行くと高校同級生のミツジがいた。
彼は警察官だ。
どうしたのか聞いたら神戸への救援にきたそうな。
混んでいたやろって言ったら、和歌山からサイレンならしながらやとすぐ来れたそうだ。
今や警察のえらいさんである。
今度は南海大地震が待っている。
前回両親が被災したが、今度いつ起きてもおかしくない。
こんな大きな震災を2回も体験したくない。
南海大地震来ないことを祈るばかりである。
そして阪神大震災で亡くなった方々の冥福を祈るばかりである。

えらく寒い日が続いていた。
そして、1月17日早朝・・・・・
朝方ふと目が覚めたのだった。
窓から外を見ると、ラブホテル大陸のネオンが火花散らしている。
空は紫色に変色しており、異様な感じだった。
寝っ転がって布団に入ったが、5分もしないうちに『ゴゴゴゴゴゴゴ』って地鳴りがしてきた。
その後細かい揺れが来て、続いて大きい揺れがきた。
立ち上がろうとしたけどダメだ。揺れに任せ転がされていた。
そこらでガッシャーンとかバーンとか音がしていた。
蛍光灯の傘が天井に着くくらい振っている。
窓が自動ドアのように開閉している。
長い時間揺れていたように思えた。
やっと揺れが収まって、室内の現状を確認した。
まずラジオつくかどうか。OK
電気は来ている。
ならば、TVはどうか。
神戸が大変なことになっていた。
台所に行こうとしたら、中部屋の押し入れに入れてあった酒の瓶が割れて散乱していた。
台所に行くと蛍光灯をつっていた片方の鎖が外れてぶら下がっていた。
水来ているか確認。OK
ガスはカセットコンロだからOK。
とりあえず、余震がきたら閉じこめられる可能性があると親から聞いていたので、窓を全開にしていた。
めっちゃ寒いので、ストーブとTVつけて夜明けを待った。
一番気になったのは、神戸に住んでいる後輩のSSKの安否だった。
もちろん電話は通じない。
9時頃まで公衆電話からかけたがダメで、実家の方にかけたら繋がった。
なんとか無事だった。
生活のこともあって、バイクで迎えに行こうと思ったが、大学の用事で神戸を離れられないと言っていた。なので、やばいと思ったら連絡くれと言っておいた。
とりあえず、コンビニ行ったら水、おにぎり、パンすべて売り切れ。
適当に弁当見つけて買って食った。
夕方親父と姉がやってきた。
灘に住んでる親戚に救援物資を持っていった帰りだという。
ラーメンの5食入りをおいていってくれたので、助かった。
神戸方面は電柱がクロスするように倒れ、電線が垂れ下がり瓦が散乱していて、爆撃の後の用だと言っていた。
ニュースでは伊丹駅の駅ビルがだるま落としみたいにストンと落ちて
派出所がつぶれて警官が死亡したとか言っていた。
飛行場はさんで向こう側やし、怖かった。
次の日、大学の友人HIDEがバイク乗ってやってきた。
神戸の友人に会いに行く前に寄ってくれた。
戻ってきたので話を聞くと、道が波のようにうねっていたそうだ。
次の日学校行こうと思ったら、阪急JR共に運休だった。
なのでバイクで新大阪まで行って学校まで行った。
電車が開通するまで休校とのこと。
何人か生徒が犠牲になったらしい。
それでとりあえず家戻って、ゆっくりしていた。
1週間後阪急が先に開通した。
それで学校にいこうとしたら乗らないでくださいとのアナウンスが流れた。
何事かと思ったら、JRの通勤客がこちらに流れてきていたのだ。
そしてなんとか乗り込み、外を見ていたらありえへん光景が目に入ってきた。
家の真ん中が凹んだのが至るところに見える。
全壊家屋もたくさんある。
いっぱい人が亡くなってんなあと実感した。
その週末に家の周りの人たちが去っていった。
斜め向かいのアパートは半壊状態でヒビだらけ。
向かいの家もヒビが見えて居住不可能。
うちは瓦ずれただけの被害だった。
部屋のTVアンテナが入居時から倒れたままだったのだが、直してくれってまえに電気屋に言ったら、2万円かかるって言われていた。
それで、震災で瓦がずれたために大家さんがアンテナをついでに直してくれた。
今思えば貴重な体験したと思い、よく命があったと思う。
SSK曰く、本が飛びまくって死ぬかと思ったそうだ。
彼は運良く山側に住んでいた。海側なら命無かったであろう。
今日TVドラマで神戸新聞のドラマやってたけど、当時大学で一緒だったしばちゃんが勤めていたのが神戸新聞だった。
ヤツの消息は未だつかめていない。
何日かして、近所の銭湯に行くと高校同級生のミツジがいた。
彼は警察官だ。
どうしたのか聞いたら神戸への救援にきたそうな。
混んでいたやろって言ったら、和歌山からサイレンならしながらやとすぐ来れたそうだ。
今や警察のえらいさんである。
今度は南海大地震が待っている。
前回両親が被災したが、今度いつ起きてもおかしくない。
こんな大きな震災を2回も体験したくない。
南海大地震来ないことを祈るばかりである。
そして阪神大震災で亡くなった方々の冥福を祈るばかりである。

