熊本地震の被災者の皆さんは 二日目の夜をむかえ様として居ます
ネットで見ていると頻繁に揺れていて 御近所では倒壊した建物の有る中でブルーシートの上での路上泊から今宵の住民の皆様は
車中泊に切り替わったとの報道が有りますが サゾカシ大変な思いで眠られぬ思いを今宵もお過ごしの事と存じます
私が生まれた道東は 18歳に成る直前に上京するまでの間 私が一回目の十勝沖地震に遭遇したのが 1952年3月4日10時23分の事
私が 3歳の誕生日を迎える直前でした。
父の仕事の関係で育ったのが 浜や駅舎よりも一寸・高台に有る門静小学校の中でした
直接の地震の怖さの記憶では有りませんが 半鐘が鳴り何故だか大きな唐草模様の風呂敷を担いだ人達が向かってきた記憶が有ります
亡くなった母に確認したのですが 火事は有ったけれど地震は無かったと言い張るばかりでしたが 未だインターネットに情報が
乗って居なかった時期でしたので東京で亡くなった私の母の49日の法要を 故郷の寺で行った時に 来て頂いた地元の方に確認したら
確かに小学校に避難をして 助かったと話しておられました
当時の記録を引き出すとM8.2 それなりに大きな地震だった事が分かります
地元の方々の証言は 少ないのですが ネットでは お寺の灯篭が壊れたとの事ですが・・・・・
私が調べた範囲では 厚岸湾から汽水湖として繋がっている丁度海水と川からの真水が合流する辺りに今も現存する牡蠣島が
当時としては 湖水に浮かぶ一大歓楽街だったと言われていますが その料亭や島のほとんどが水没してしまったと言われています
勿論・その後の1960年 チリ地震も私の記憶には 確りと恐怖と共に脳裏に焼き付いています
せめて頻繁におきる揺れだけでもおさまってもらいたいとは 心から思っております
我が家の次女Kinakoと三男で末っ子りKiiが ここ数日仲良く過ごして居ます。
穏やかな日が 早く戻ります様に・・・・・