まず、自然そのものの作品は絶え間ない時間という流れの中で必ず老いていく。絵画は滅んでいく存在の美しさをその作品の中で停めておくことができます。
そういう意味で時間や自然作品を超える永続性を表現することができる。それを描いた画家は既にこの世にいなくても、作品は永遠に生き続けることができる。それは音楽や映画、あるいは文学も同様です。
自然に存在するあらゆるすぐに失われてしまう「美」を、芸術家はより普遍的な室の高い内面的な価値観へと自然を超える永続性を表現できる技といえるでしょう。
建築もまたそれが持つさまざまな機能や、都市やその国の文化あるいはさまざまな都市における地震や火災、法律などの極めて制限の厳しい基準を満たさなければなりませんので、そういう意味においては他の芸術である、絵画や彫刻などはそれに比べると極めて自由であると言えます。
20世紀建築の3巨匠の一人である、”コルビジェ”は毎日午前中はパリのアトリエで絵描きとして絵画を描いて、午後から事務所で公人として建築家としての仕事を死ぬまで続けていました。さまざまな現代でも人気の高いイスのデザインもしていたので、工業デザイナーでもあったのです。
フランクロイド・ライトも建築だけでなく今までの建築家野中で一番美しい建築の完成図ドローイングを始めとして、ステンドグラスやイス、そして照明器具、テーブル、暖炉、事務所の机、自然採光の天井のアトリウム(グゲンハイム美術館のガラス天窓やジョンソンワックス社の天窓)、全てを手工芸品として芸術品としてデザインしていた点では、英国のウイリアムモリスなど自然主義の考えに近いものを感じます。
▶”レオナルドダビンチは建築を、彼女(芸術)は、その基本的な原理、つまり意匠(デザイン)によって、建物をいかに目に心地よくするかを建築家に教える”と言う言葉を残している。文字、数字、遠近法、天文学、機械工も技師も彼女(芸術)の教育を受けている。自然界に起こることをつぶさに観察してその内奥に隠れた何かを見つけ出すのだ。絵画や彫刻には文学のようにいくつもの言語に翻訳する必要がない。
これは視覚言語という言語を超越した感覚でとらえる事ができる芸術なので、音楽や映像も同様の世界観を持っていると云えます。
これは私見ですが、20世紀巨匠建築家の3人であるル・コルビジェ、フランク・ロイド・ライト、ミース・ファンデル・ローエが築いた現代の世界の都市建築様式から、今日の21世紀建築に移りやはり革新的な建築として、ザハ・ハデイットとフランクゲイリーの2人がやはり純粋に美術作品としてみても圧倒的インパクトを持ち、より革新的な創造的想像力をもつ前衛的な建築家であると感じます。
創造と破壊という創造性を前提にみても、この2人の仕事は現代のコンピューターと材質の発達がなければ、その複雑で緻密な構造性都自由な発想の裏付けを持つ建築は、建造することが不可能であったと思います。その意味ではダビンチの言うこれからは無限の可能性をもつ芸術的意匠がより求められて行く時代であると感じます。
我が国でいう理系と文系という二つの系列ではもはや収集することができない、これからは芸術系(アート・デザイン系)の高付加価値の時代であり、それらの技術習得が必須であると云えるではないでしょうか?大量生産大量消費の途上国経済は終わり、よりカスタマイズとニッチ化が進み、エコロジカルでよりアート的で個人の感性に寄り添う、マスからより個人主義的価値観へと変化し移行している時代と云えます。
▶アートを学ぶことは総合芸術家である建築家をめざす受験生は、これからは必須の時代であると云えるのではないでしょうか?
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▶高橋順一公式サイト www.junichitakahashi.info https://www.junichitakahashi.info/index.html
▶早稲田建築AO/サイトアドレス kenchiku-ao1.xsrv.jp https://www.kenchiku-ao1.xsrv.jp/
▶美大合格塾サイトwww.bidaigokaku.com https:www.bidaigokaku.com /
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