早稲田建築AO入試 空間造形力エキスパートコーチ 高橋順一の日記:合格最短の秘密

国内外美大デザイン全科受験指導歴32年約千名累計合格89.9%
洋々早稲田建築AO入試エキスパート16年コーチング

”なぜウオルト・デイズニーはデッサンを重要視したのか?”

2019-03-30 11:33:48 | 早稲田建築AO受験マスタ−コーチの秘密
これから世界で活躍する建築家をめざし、21世紀建築を変えた女性建築家ザハ・ハデイットが学んだ英国の建築専門大学のAAスクールやフランクゲイリーや世界で活躍する日本の建築家阪茂さんが学んだNYのクーパーユニオンなど、海外大学の建築科を考えている高校生もいると思います。また、早稲田や東大建築科など国内で歴史ある大学、海外の建築で有名な国立・公立大学をめざす人、あるいは安藤忠雄さんのように、ボクシングという格闘技界から高校卒業でガッツ溢れる精神で世界一流建築家に到達している人もいます。

高校生が好きなウオルト・デイズニーはアニメーターに徹底した技能訓練をおこなった。シュイナー美術学院(カリフォルニア芸術大学/フランクゲイリー建築で有名の前身)からドン・グラハムらのプロの講師を招き、”本物の人間の動きとはというテーマ”で夜間授業を行った。歩く、走る、向きをどう変えるか、どう踊るか?歓びの表情、恐怖、驚きをどういう風に表すのか?衣服のひだ、光はどう輝くのか? 灘ら模様になった日の光、草木やさまざまな物の影、あるいは人の顔に当たるとどういう風に見えるのか?






これらの訓練は美術専門の学校や大学などを卒業してきたアニメーター達に、単なるマンガを超えた視野を持たせるために刺激を与え、芸術家の考え方をさせたかった。そしてアメリカを代表する芸術家や評論家、建築家を招き、光の物理からユーモアや恐怖の心理学、建築の発想手法など幅広いテーマに関する講義を行わせた。そこには建築家のフランク・ロイド・ライト、壁画家のジャン・シャルロー、作家のアレクサンダー・ウールコットなどの著名人がいた。




当時のライバル会社達はこの訓練をあざ笑っていた。しかし『白雪姫』の時もウオルトは若いダンサーを連れてきて、白雪姫のモデルにしたのだ。それは白雪姫の動きを本物に近づけて説得力を持たせるために、モデルの動きを一コマ、一コマに分けて、アニメーター達に観察させたのだ。それから半年後、ウオルトは全ての動画を点検したーそして大部分を捨てさせた。その理由は初期のデッサンが未熟だった。それはアニメーターの成長が著しく初期のデッサンと後期のデッサンが整合しない理由だった…..”生きている生命感”を求めたと感じる。

この最初の長編アニメーション『白雪姫』はそれまでの短編アニメーションを
制作していたデイズニーは、マルチプレーンカメラが発明された時だった。

そして彼はさらに改善されると考え、全てのシーンを破棄し、また一から描き直すよう命令した。当時その制作費は50万ドルだった。つまり『白雪姫』が失敗したらデイズニー・スタジオはおしまいだった。会社の生き残りを賭けた「大博打」だったことを人々は知らない。世界でまだ誰も見たこともない最高の映像イメージのファンタジーを彼はいつも夢見たということである。

それは言葉でいうと「創造的想像力」であり、「詩的な美」であり、最初にそれを生み出すのは視覚芸術の場合は言葉でなく絵であり、デッサンが頭に浮かんだイメージを形にする最初の作業で、建築家をめざす受験生にいつもなぜ”デッサン”が必要か?ということへの答えと言える。他の人に自分の考えたイメージを描いてもらうことが出来ないからです。

参考文献と図像 
・「デイズニー・アート展」カタログ 東京都現代美術館 2006年7/15〜9/24 
デッサン・ドローイング原画クリーンナップ “シンデレラ”、”眠れる森の美女”
・「ウオルト・デイズニーに学ぶ七転び七転び八起き経営」 パット・ウイリヤムズ (
株)ネコ・パブリッシング 
 

3月24日(日)のつぶやき

2019-03-25 05:20:36 | 早稲田建築AO受験マスタ−コーチの秘密

なぜ、早稲田大学建築は『美大入試の”想定デッサンという実技試験』を出題?

2019-03-24 17:33:56 | 早稲田建築AO受験マスタ−コーチの秘密
昔から実施しているデッサンの本当の意味を、これから受験する高校生や浪人生のあなたやあるいはあなたのご両親は理解していますか?



1. それは画一的な住宅や機能だけの、インフラである公共建築あるいは商業施設は人々が心から満足していないからです。戦争直後や発展途上国に行けば分かりますが、その日暮らしで社会インフラの質や芸術度まで頭が回らないのです。生きるためのまず衣食住が優先されます。今現在の世界でもそういう状況下での過酷な生活から、やむなく国外へと脱出して移民という選択を選ばざる家族も多くいます。

 今日は早稲田大学建築科のコアコンセプトである、『建築工学』と『建築芸術』という言葉を掲げていますが、私には『構造の美』と『詩的な美』という言葉に変化します。

 そういう長期の建築芸術家をめざす若い人だけに、今日は21世紀建築の口火をきった人と、それを体現した人を簡単に俯瞰して見たいと思います。

 アーテイストは評論家ではないので、言葉だけでは表現することがあえてしていませんので、最初にそれを理解してください。

だから視覚的な絵画、彫刻、映像、空間芸術、パフォーミングアート、グラフィックデザイン、インテリアデザイン、プロダクトデザイン、情報デザインなどの職人のかたの同じものを作る人との違いがそこにあります。世界に一人の自分だけの表

現を毎回、創造しては明日は破壊して新しい表現を求める芸術家という因果な性分である存在があります。現在のマーケテイングは市場という対象の客体があり、売り上げやお金という測定可能な存在がありますが、芸術家はマーケッターの意識も概念も興味はないので、自己の創造する世界で完結する精神的昇華行為でもあります。

2. 建築家も先のレンゾ・ピアノ建築事務所や、今は亡きザハ・ハデイット建築事務所、フランクゲイリーなどの建築事務所は全て法人組織で、250人から450人、あるいはそれ以上の規模の健康保険などのほか大きな会社ですので、それらの所員を雇用して毎月給料を払い雇用保険のほか各種保険や退職年金、売り上げに対しての毎年の課税や課税費用に対する積み立て金を始め、広範囲の公的負担が企業存続には必要です。むろん広告や営業、マーケッテイングをはじめとする長期的なパブリシテイ広報活動やイメージ広告活動もあります。

3. 今回はそういう細かいことは大学入試には関係ないので触れません。世界的な建築家のアイデアソースやどこからそのビッグ・アイデアを得たのかを、私の私見ですが共に探検してみたいと思います。

4. 今回は『ザハ・ハデイット』というアメリカ建築界のノーベル賞と言われる賞を始めて女性建築家で受賞しました。彼女はイラクで学び後に英国で世界有数の建築専門大学のAAスクールに学び英国籍を取得したました。フランスと英国の勲章、
ハーバード建築科、イリノイ工科大学建築科(ミース・ファンデル・ローエ創設)、ウイーン応用美術大学などで教員を務めた。




彼女はロシアアバンギャルド(前衛主義)に強い影響を受けた。初期作品はそういう空間造形思考の作品というドローイングが数多くある。今回はそういう作品からドローイングを添付した(MOLESKINE社/ZAHA HADID作品集から引用)。しかし、そいう初期においての空間における、リートフェルトやタトリンなどにみる直線至上主義的な意識から、女性が持つ美意識からだんだんと曲線と曲面、あるいはファッション、宝飾品からインテリア、照明、イス、台所空間などの包括的プロダクトへと飛躍する。



➡今回は北京の現在進行中の世界一の国際空港のレンダリングを添付します。

 ➡今回は将来に世界で活躍する建築家をめざす受験生に、贈り物ですがただ有名な大学建築科に入学すればいいという、安心安定というこの国独自の集団主義的同調圧力的価値観ではもうこれから世界で活躍することはできないということを、美術という創造的な世界から見て来た、一人の人間からの美大受験など造形表現力養成に携わってきた一人の極めて狭い専門家からのアドバイスと受け止めてもらえれば幸いです。

世界の美はあなたの毎日の生活の中に、そして愛する家族やご両親や心から信じることのできる先生方のことばにあります。

本来はザハの建築の魂も国立競技場という建築空間で体感できる楽しみがありましたが、どこかの政治家のとんでも発言で世界の文化的知識人から嘲笑されましたが…フランスはむかし文化大臣にアンドレマルローという文学者を大臣にして大きな今に続く都市改造計画や美術、音楽、建築を国防費の次に大きな予算で、文化大国へと推し進めてきた歴史があります。



“21世紀建築の革命家の2人である、総合芸術家フランクゲイリーの言葉”

2019-03-17 16:23:04 | 早稲田建築AO受験マスタ−コーチの秘密

“21世紀建築の革命家の2人である、総合芸術家フランクゲイリーの言葉”




1. 1927年生まれの彼はずいぶん前にこういう言葉を残している。彼はもう一人の建築の革命家である、イラン人の女性総合芸術家の建築家ザハ・ハデイットと同様に、20世紀建築のレジェンドとはまったく異なる、空間における視覚言語を確立した。

 20世紀の建築は3人の天才建築家である、スイスとフランス国籍のル・コルビジェとドイツとアメリカ国籍人のアーマー大学後のイリノイ工科大学建築科ミース・ファンデル・ローエ、そしてアメリカ人のフランク・ロイド・ライトの3人が世界の建築を形作ったと言える。

 ゲイリーはル・コルビジェ、ミース・ファンデル・ローエ、フランク・ロイド・ライトが天才的な建築革命家と認識している。

ゲイリーは現在92才である。話は飛ぶが、クリント・イーストウッドは89才である。有名な歌手のトニー・ベネットは93才なので同期とも言える。

 若い頃のマイアミやビバリーヒルズでの金持ち迎合主義の、まがい物のアールヌーボー様式ペントハウスから、決別するためにパリに遊学した。そこで彫刻家や詩人と深い交友関係を持ち、その後の自分だけのアバンギャルドな造形言語を追求する事を決意した。日本文学からの影響も大きいが自由な空間造形という至高をめざしたと言える。

2. ザハとゲイリーに共通するのは、20世紀建築の巨人達はコルビジェはレジェやブラックという当時前衛画家のスタイルを学び、それらを超克する自由な空間造形言語を構築したと言える。

 20世紀のミースはギリシャローマの美学や自由な前衛美術精神が、後のロンシャンの教会などの極めて彫刻的な建築へと昇華し、ライトもまたギリシャ彫刻やアメリカ独自の大自然からの様式を融合し、日本画や庭園などの独自な視覚言語を自分なりに昇華したと独自様式と云えるのではないか?個人生活ではとんでもない行動の人で世間を震撼させて逃避行もしたが….

3. ゲイリーのアブダビやザハの北京国際空港はいずれにせよ、二人ともいままで見たこと間ない建築を、”自由”に造形している精神がコアコンセプトで存在している。クライアントに迎合や時流に乗るといった商業主義やマーケテイング精神はそこにはない。それは権威主義とは対極なとてもあっぱれな生き様とあなたは思いませんか? 自分の命は一度しかないのだから、かっこつけても意味がない。
















人生が変わったエピロードその2:奇跡の“音のないコンサート/創造神との遭遇”の話……

2019-03-16 14:27:26 | 早稲田建築AO受験マスタ−コーチの秘密
私はその時35才であり、自宅のちいさな絵画塾から偉大受験生の増加で新しいRCの打ちっ放しの3階建物で新しいスタートを初めていた時だった..そしてある機会を得て1985年の12月に、成田発のNorthewest Chicago 4でシカゴの美術大学やデザインの専門学校への視察の旅に出かけたのである。そしてその奇跡は私一人に起こったのである。シカゴ美術館付属(芸術大学)シカゴアートインステイツーとレイボーグアートスクールなどの責任者と学内の環境やシステム説明などを受ける旅であった。その時は、クリスマスシーズンであり、イリノイ州の最大の都市である。共和党の重要なロビイストでリンカーン研究家で、有名なラルフニューマン氏宅でのパーテイや、シカゴの経済界の広告代理店会長宅に宿泊して、ユダヤ人大富豪の上流階級の人々重鎮とのプライベートの会合や会食に参加していた。時はレーガン政権でありナンシー夫人などが話題であった….連日のジョンハンコックセンター150階以上の超高級フレンチレストランも驚くべき体験だが、みんな小さい時からの差別体験から裸一環で頂上まで上り詰めた働きものの人達だった。さまざまな苦労話やダウンタウンの当時のカフエにも連れて行ってもらった。

そしてそれは1985年の12月の由緒あるシカゴシンフォニックフォールで定例のショルウテイ指揮の、シカゴフィルのベストメンバーのクリ スマスコンサートに参加できる幸運に恵まれた。それは シカゴフィルの主要パトロンしか手に入れることが出来ないVIPボックスシートで聴ける特別チケットであった。出入り口とエレペーターも一般席の入場入り口とは異な り、周りは品のよい上流階級のミンクのコートと、エスコート役の男性は黒のタキシードにシルクのシャツという出で立ちの人々であった。むろん廻りは全て白人のエリート階級でアジア人の私はただ一人だった。エレベーターから完全に浮いていた......ある種の視線を感じた..アメリカでは日本人は完全なマイノリテイリであり、それも保守的なシカゴという土地での歴史的な意味を......


しかし、そんなことを覆すことがまさか自分に起こるとは.....そのあまりにも信じられないめくるめく異次元に引き込まれた体験は、言菜で語るにはとても難しい体験であったけれど.....ギャングの街とアメ リカの一地方オーケストラを世界的な存在にした作大な指揮者の衝撃な世界との出会いにしては、今から考えても説明が出来ない不思謡な体験であった。

「コンサートなのに音が闘こえないのである,

" はじめにショルウテイが紹介さてから、私は自分の目がどうかしたのか?それも音が聞こえないのも自分の耳がどうかしたのか?周りの人々はみんな聞き入っている。しかし私には 見えるにはまぶしいほどのこの世のものと思われない壮大で荘厳な光が動いている姿でがなん
と眼の前に光り輝いている…音もなく、一切の言葉もなく….

私はそれをデッサンする時のように、細部と全体を冷静に観察した。それはあたかも生命体のように呼吸しているではないか、その周りには輝く後輪のような赤と青、そして黄色という色彩線状の輪郭が見えて その色彩が光全体の輝きとと共に連動しているではないか, それから
その”ぎらぎらと光る生きている”存在は、私の心に語りかけたのである….

存在を感じた。ぎらぎらと光る生きている………広人な生命エネルギーの存在は無限であり、宇宙意識のように感じた。その存在が私に同じ言葉を伝えているのである。「全ては慈愛であり、それがすベてである…」無限の宇宙意識はただその事を私に語りかけていた。

一瞬、自分がおかしく なっ たのかと思ったが、手と足は自分の意思で勁くのでそうではないことは確認していた。それからどのくらい時間が経過したのか?全くわからないが、演奏終演後に再び ショルウテイが舞台でお辞儀をしているショルーテイと楽団員と共に廻りの観客の姿が見え
万雷の拍手とスタンデイングオベーションの音と共に意識が戻ったのである。これはその特別の啓示を私がもらいそれを実践しなさいといういう風に私は感じ受け止めた。

神秘体験と言うのは人の人生にそう何度も有ることではないが、私には心に残るできごとがいくつかある。そう多くはないと思うが、曖昧なぽんやりした体験ではないので、実際に見て体で経験したことはそうそう簡単に忘れることはできない。 その強烈な体験は潜在意誤にとて
も深く焼き付けたのであった.それは、その後の自分のアートスクールでの美大受験生や社会人、あるいは子供コースを指導する上で自分の「使命や価値観」の礎になっている。唯物的な意識から180度異なる宇宙意識あるいは宇宙一神への大きな意識が大転換したとでも
いえる。神の存在が初めて認識でき完全に意識が変わってしまった。キリストやマリアという存在との遭遇ではないがやはり聖書にある”はじめに光があった”ということを身をもって体験したとてもふしぎな感動する私の事実だった。






3月8日(金)のつぶやき

2019-03-09 05:11:04 | 早稲田建築AO受験マスタ−コーチの秘密

「デッサンは鉛筆だけではない….」

2019-03-08 09:01:39 | 早稲田建築AO受験マスタ−コーチの秘密
早稲田建築科やその他の美大や工学部系大学建築入試で実技にデッサンが必要な学校があるが、前にも書いたが物体を空間性を伴う正確さを立体的に平面に描写する前提の”客観的描写のデッサン”をはかる専門的な美術能力の実力判定試験ではなく、与えられた文章や用語から思い浮かべたことや感じたことなどを描くという内面のイメージを”想像力”で描くという”想定デッサン”あるいは”想像デッサン”という風に言うこともできます。

 すぐれた歴史上の画家は昔から見た物をそのままに描くのではなく、自分が想う”自分の内面に存在する美の形”をキャンバスに描くという、自分の内面的な価値観を詩的な美へと精神的な昇華へと常に高めながら、新しい絵画や彫刻、あるいは建築芸術という自己表現を試み、自己成長し表現者として日々生きることが”自己実現”であるとても狭い道を孤独に耐えて芸術家として生きたと言えるでしょう。

 今日は絵やデザインで鉛筆以外の描画素材の話をしてみようと思います。古典ではチョークがありますが、柔らかい木炭という昔からあるすぐれたデッサン素材がありますす。ただ、普通の紙にはのりにくいので、木炭紙という専用の紙とそれを受け止めるには木製パネルではなく、やはり昔からある紙製の”カルトン”という下敷きが適度のクッションとデリケートな木炭というデッサン用具を使うには必要なものです。鉛筆は先端が補足削れるので細部まで細かい描写に適しますが、パステルやチョーク、木炭は先端よりも側面全体を使えるので広い面積に有効と言えます。

 私が個人的に本当に美しいと感じたのは、やはりレオナルド・ダビンチの”着衣のデッサン”や”スーラーの木炭デッサン”です。日本の画家では”安井曾太郎の裸婦デッサン”が美大受験などでは、有名ですが”ドガのデッサン”なども本当に美しい美術作品です。本当に美しいこれらのデッサンにはその芸術家の心が宿っているからです。単にうまいというのではなく画家の”心つまり魂が作品に宿り生きている”からです。そういう美しい世界がこちらに伝わるからです。木炭は細かい線で描くという技法には向きませんが、そういう意味では添付した”彫刻家のジャコメッテイの人物デッサン”は対極ですが、本当に美しい作品です。美術では序列やヒエラルキーというものはありませんので、それぞれのアーテイストの描き方はみな独自で世界で一つしかない様式といえます。
















 ただの概念や観念、技術、あるいは作為やアイデアだけの作品も見られますが、そういう作品は長い時間見ていることができないし、作品の内面に入ることができないので、表層的とも言えます。一度見て終わりの作品はその作品内部にある壮大な光景がないから何度も見る気がしません。しかし本当にすぐれた美術作品は、見るたびに美しい新しい感動と発見があり、心が洗われ時代や時間の経過を経過しても普遍的な存在感があると言えます。昔の木彫仏でいう魂入れということかもしれません。

受験も傾向と対策ではなく、やはり自分の心の中を見つめ本当の自己対話と内省をもとに、本当に表現したい事は何か?ということを建築という”構造的な美”と”詩的な美”を統合し世界に一人しかいない、あなただけのスタイルを築く最初の一歩を歩み始めることを願います。だから、勉強の合間に精神的に疲れたら、すぐれた本や美術館、あるいはコンサートなどすぐれた芸術家の複製ではない作品や演奏者や大自然のなかでデッサンしたりして、もう一人の自分を見つけてその心を聞いてください。