フォックス@香港です。
今日の香港紙『明報』に掲載されていたのですが、旧日本軍兵士が戦後60年間、広東省の仏山に生存していた事が分かったそうです。
一日本老兵隱居廣東六十年
(中央通訊社 2005.08.05)
本名は明らかにせず、ずっと「不[小董]」という名で通し、最初は敵意を抱いていた村人達とも次第に和解し、仲良く暮らしているといった話。『明報』オリジナル記事には御本人の写真も掲載されていますが、短く刈り上げた白髪にランニング姿で、眼光だけは鋭く中々渋い爺ちゃんです。顔だけでは日本人とも中国人ともつかない。
しばらく前にフィリピンで旧日本軍兵士が見つかったという情報が錯綜し、結局、仲介者の金目当てだったのか不発に終わった事件がありましたが、それは別としても、アジア太平洋の各地に残留してそのまま現地で生活していた日本人は、思いのほか多いのでしょう。
今朝、行きつけのオヤジ店で早茶しながらこの記事を読んでいたのですが「誕生日が9月18日」という所でゲホゴホ咳込んでいた時、ちょうど顔見知りの浮浪者トリオのおっちゃんの一人が寄ってきて、いつものように煙草をねだって行きました。淳子も今ではすっかり現地に馴染んで、地元の人々と仲良く暮らしているようです(笑)
今日の香港紙『明報』に掲載されていたのですが、旧日本軍兵士が戦後60年間、広東省の仏山に生存していた事が分かったそうです。
一日本老兵隱居廣東六十年
(中央通訊社 2005.08.05)
本名は明らかにせず、ずっと「不[小董]」という名で通し、最初は敵意を抱いていた村人達とも次第に和解し、仲良く暮らしているといった話。『明報』オリジナル記事には御本人の写真も掲載されていますが、短く刈り上げた白髪にランニング姿で、眼光だけは鋭く中々渋い爺ちゃんです。顔だけでは日本人とも中国人ともつかない。
しばらく前にフィリピンで旧日本軍兵士が見つかったという情報が錯綜し、結局、仲介者の金目当てだったのか不発に終わった事件がありましたが、それは別としても、アジア太平洋の各地に残留してそのまま現地で生活していた日本人は、思いのほか多いのでしょう。
今朝、行きつけのオヤジ店で早茶しながらこの記事を読んでいたのですが「誕生日が9月18日」という所でゲホゴホ咳込んでいた時、ちょうど顔見知りの浮浪者トリオのおっちゃんの一人が寄ってきて、いつものように煙草をねだって行きました。淳子も今ではすっかり現地に馴染んで、地元の人々と仲良く暮らしているようです(笑)