FOX.log

FOX新聞館ブログ版             香港・台湾・中国 NEWSコラム+不謹慎発言

政府、「1つの中国、1つの台湾」模索=国連議席問題-17回目の外交文書公開(時事)

2002-12-23 20:58:32 | 時事
政府、「1つの中国、1つの台湾」模索=国連議席問題-17回目の外交文書公開
(時事通信/Yahoo!Japan 2002.12.23 19:02JST)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20021223-00000021-jij-pol
 
他にも、今日23日公開された1950~60年代の外交文書でイロイロ明らかになっているヤヤヤ。港台中ニュースにも続々と出る(と思う)ので、ひとまず。
 
「強制連行」認めぬ姿勢克明に=戦後逃亡13年の劉連仁事件-外交文書
(時事通信/Yahoo!Japan 2002.12.23 19:02JST)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20021223-00000030-jij-pol
米軍、小笠原旧住民に冷淡対応=帰島、本土復帰までかなわず-外交文書
(時事通信/Yahoo!Japan 2002.12.23 19:02JST)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20021223-00000027-jij-pol
皇太子殿下が「訪日歓迎」表明=アイゼンハワー大統領に-外交文書
(時事通信/Yahoo!Japan 2002.12.23 19:02JST)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20021223-00000028-jij-pol
日朝貿易、韓国発展見込み認めず=「純経済的見地」も理由-外交文書
(時事通信/Yahoo!Japan 2002.12.23 19:02JST)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20021223-00000026-jij-pol
佐藤内閣、ベトナム和平へ独自外交=「沖縄返還」重視で腰くだけ-外交文書
(時事通信/Yahoo!Japan 2002.12.23 19:02JST)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20021223-00000025-jij-pol
日本のガット正式加入に指南役=初代事務局長が有力助言-外交文書
(時事通信/Yahoo!Japan 2002.12.23 19:02JST)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20021223-00000031-jij-pol
 
ニクソン氏、佐藤首相に「改憲」打診・外交文書公開
(日経 速報政治欄 2002.12.23 18:43JST)
http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20021223AT1E2100M23122002.html
 
池田内閣、アイク招請に皇室使う…外交文書公開
(読売 速報政治欄 2002.12.23 19:39JST)
http://www.yomiuri.co.jp/04/20021223i112.htm


最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
【外交文書】日中国交正常化10日前 台湾に断交通告(産経) (ゾンビ)
2006-01-30 20:36:12
(2002.12.24 11:02:15JST)



案の定「ニホンハワルクナイ」系のニュースは大好き産経。悪いのは中国と角栄と親中派と蒋親子。ハイハイ。どっかと利害一致しますけどマ、いいでしょう。ワタシ東京まで外交文書閲覧に行く気なんかモートーないし(確か、前に孝くんが閲覧方法教えてくれたような)

 

---

日中国交正常化10日前 台湾に断交通告

 外交文書公開

(産経 2002.12.24 朝刊内政欄)

 

日中国交正常化より十日前の一九七二年(昭和四十七年)九月十九日、日本、台湾の最後の政府間公式交渉となった台北での蒋経国行政院長(首相)との会談で、首相特使で自民党副総裁の椎名悦三郎氏が日台問題の「矛盾、撞着をなくすることは困難」と述べ、事実上の断交通告をしていたことが共同通信が二十三日までに入手した会談詳録で初めて明らかになった。

 

当時、日本は中国との国交正常化への流れが加速、台湾では断交後の経済制裁や人的往来を含めた関係の断絶を求める対日強硬論が噴出していた。椎名氏は「矛盾」との表現を使って間接的に断交を事前に伝え、台湾側のショックを少しでも和らげようと試みたとみられる。

 

外務省は二十四日付で外交文書を公開、日台関係など五〇-六〇年代を中心とした資料を公開した。詳録は外務省アジア局参事官として会談に同席した中江要介・元駐中国大使(七九)が作成、保管していた。

 

それによると、椎名氏が自民党の日中国交正常化協議会の結論として、外交を含めた台湾との「従来の関係」の維持を念頭に日本は対中折衝に臨むとの方針を説明した。これに対し、蒋氏は「田中(角栄)総理は必ずこの結論に準拠するのか」と疑問をぶつけ、断交は不可避との認識を持っていたことをうかがわせている。それでも「中共(中国)に大陸を取られたのは日本の軍閥による戦争のためである。中共と国交正常化すれば二度の大罪を犯すことになる」と激しく翻意も迫った。

 

椎名氏が示した「矛盾」とは、反目し合う中台がともに「一つの中国」原則を譲らないため双方を二重承認できない外交環境を意味する。

 

中江元大使は「政界大物の椎名氏が真綿にくるんだような婉曲表現で断交の意向を伝えたことで台湾側の顔を立てた」と回想、こうした配慮で最悪の事態は回避されたと評価している。

 

特使の訪台は九月十七日から三日間。石井明・東大教授(東アジア国際関係史)によると、椎名氏は十八日に「貴国との間に痛切なる矛盾抵触を免れず」と断交を示唆する蒋介石総統あての田中角栄首相の親書も台湾側に手渡していた。

 

≪外交文書公開≫ 外交活動への国民の理解を得るため、外務省が昭和51年から内規により自主的に開始した制度。原則として作成から30年を経過した文書を対象に公開しており、今回が17回目。ただ、安全保障や継続中の交渉への悪影響が懸念される文書は公開対象から除外される。このため昭和35年の日米安保条約改定の交渉過程に関する記録など、いまだに公開されない文書も多く、制度の形骸化を指摘する意見が強い。

 

≪日台断交までの歩み≫

 

1945年8月 日本の敗戦で台湾の植民地支配終わる

 

 49・10  中華人民共和国(中国)成立宣言

 

   12  国民党政府が台湾に逃れる

 

 52・4  日華平和条約調印

 

   8  吉田茂首相が台北で張群総統府秘書長と会談

 

 57・6  岸信介首相が訪台

 

 58・8  馬祖、金門両島を中国が砲爆撃、2カ月間にわたり交戦

 

 62・11  「日中総合貿易に関する覚書」調印(LT貿易)

 

 64・2  吉田氏が訪台

 

 4-5  吉田氏が張氏に書簡

 

   7  大平正芳外相が訪台

 

 65・8  台湾の沈昌煥外相が訪日

 

 66・5  中国で文化大革命始まる

 

 67・9  佐藤栄作首相が訪台

 

 70・4  蒋経国・副首相が東京で佐藤首相と会談

 

 71・7  キッシンジャー米大統領補佐官が訪中

 

   10  中国が国連復帰、台湾は脱退

 

 72・2  ニクソン米大統領が訪中

 

   9  椎名悦三郎特使が蒋経国首相と台北で会談(19日)

      

      訪中した田中角栄首相と周恩来首相が国交正常化をうた

      う日中共同声明に調印、台湾は対日断交(29日)

 

椎名悦三郎氏(しいな・えつさぶろう) 明治31年1月生まれ。岩手県水沢市出身。東大卒業後、農商務省入り。商工次官などを経て昭和30年、衆院選で初当選。内閣官房長官、通産相、自民党副総裁などを歴任。外相として日韓国交正常化などに尽力した。ロッキード事件で辞任した田中角栄首相の後継に三木武夫氏を指名した「椎名裁定」が有名。54年9月、81歳で死去。

 

中江要介氏(なかえ・ようすけ)大正11年12月生まれ。大阪市出身。京都大法学部卒業後、外務省入り。日韓、日中の国交正常化交渉などに参加した。アジア局長、駐エジプト大使、駐中国大使などを歴任。現在、日本日中関係学会会長。著書に「中国の行方」「らしくない大使の話」など。79歳。

 

---

椎名氏と蒋氏 会談詳録要旨

 椎名特使 婉曲表現で「顔立てる」意図

(産経 2002.12.24 朝刊内政欄)

 

椎名氏 中共(中国)が「佐藤(政権)を相手にせず」と言っていた

    のに、田中政権になると手のひらを返したように接近してき

    た。(自民党の)日中国交正常化協議会の意見に従って処理

    していきたいと何度も田中(首相)は言明している。協議会

    の決議の前書きに、特に「中華民国」との関係は深いので、

    「従来の関係」をそのまま維持することを念頭において、日

    中正常化の審議に臨むべきであるという表現がある。「従来

    の関係」とは外交を含めた意味だ。これを基本に田中、大平

    (外相)は北京での折衝では、これに準拠するが、不調の場

    合一度帰って、再び協議会の承認を得て、新しい案で出掛け

    ることも有り得る。

 

蒋氏  田中総理は必ず今の結論に準拠するのか。

 

椎名氏 田中総理、大平外相とも総会に出席して「必ず協議会の意見

    に従ってやる」とあいさつしている。

 

蒋氏  大平外相の彭孟緝駐日大使に対する(一九七二年七月二十五

    日の)発言を重視している。「日中国交樹立の暁には日華平

    和条約はなくなってしまう」というものだが、どうか。

 

椎名氏 「論理的には成り立たない」との見解を言ったのではないか。

 

蒋氏  「正常化の暁には台湾とは断交する」との事前通告と受け取

    っている。

 

椎名氏 断交の宣告でも予告でもなく「ならざるを得ないと心配して

    いる」ということだ。

 

蒋氏  日中正常化の問題は「中華民国」が当事者で、その受ける影

    響が大きい。親「中華民国」反「共産主義」の日本政府があ

    ってこそ共同の立場で日本の発展、アジアの平和も確保し得

    るという認識だ。中共に取られてわれわれが大陸を失ったの

    はなぜか。日本の軍閥が起こした戦争のためである。今後日

    本が中共と国交正常化するようなことになると、将来永久に

    七億人の同胞を苦難に陥れる。再び、二度の大罪悪を犯すこ

    とになり、看過できない。

 

    現在われわれは台湾にいるが、これはあくまで大陸を取り戻

    すまでの基地であり、もし、日中正常化をするようなことに

    なると、(日本にとって)二度目の降伏になる。われわれが

    大陸を取り戻した時には三度目の降伏をすることになる。一

    切の責任は日本側が負うべきである。大陸の同胞の救済とア

    ジアの平和のため敢然としてわが道を行くし、この権利を守

    るため一切の処置を取るだろう。

 

    鉄砲が支配した日本は内政不干渉の原則を守らなかったが、

    今の日本はペンが政治を掌握している。今回の結果が、鉄砲

    の支配よりもさらに悪化することがないように願いたい。

 

椎名氏 発言をしみじみと拝聴し、ますます置かれている場面が重大

    な関頭(岐路)に立っていることを痛感する。当面の日華問

    題を通してアジア、世界の全局面を見て、何ら矛盾、撞着を

    なくすることは困難だと思うが、誤りなきを期したい。同時

    に、特使としての使命であるから、当面どうすべきか深く考

    慮を払って十分田中総理に伝え、誤りなきように期したい。
返信する
【ところで】なんでまた中江要介が「2002年12月21日に台北で」  (ゾンビ)
2006-01-30 20:38:07
(2002.12.24 11:04:44JST)



座談会に参加なんかしてるんでしょうか。

不思議なこともあるもんですなあ。

 

> 中江元大使は「政界大物の椎名氏が真綿にくるんだような婉曲表現で

> 断交の意向を伝えたことで台湾側の顔を立てた」と回想、こうした配

> 慮で最悪の事態は回避されたと評価している。

 

 

> 中江要介氏(なかえ・ようすけ)大正11年12月生まれ。大阪市出

> 身。京都大法学部卒業後、外務省入り。日韓、日中の国交正常化交渉

> などに参加した。アジア局長、駐エジプト大使、駐中国大使などを歴

> 任。現在、日本日中関係学会会長。著書に「中国の行方」「らしくな

> い大使の話」など。79歳。

 

 

台日斷交三十週年前外交官細數當年歴史

(中央社 2002.12.21 19:44)

http://news.yam.com/cna/politics/news/200212/200212210222.html

 

(中央社記者黄明興台北二十一日電)日本前駐中共大使中江要介在一九七二年台日斷交時任職日本外務省亞洲局參事官,他今天在台北參加一場座談會中指出,當年日本無意與在台灣的中華民國斷交,是中華民國主動宣布的;當時任中華民國行政院新聞局長的監察院長錢復表示,即使當年不主動斷交,還是會被迫斷交。



中江要介在台灣日本研究學會舉辧的台日斷交三十年回顧與展望座談會中表示,承認中華人民共和國是當時國際社會的趨勢,日本認為,與中國大陸關係正常化可以擴展日本的外交空間,但是日本並無意與中華民國斷交,事實上日本方面當時並沒有人對台灣反感,在日本看來與中共談建交時可以不必要與台灣斷交。

 

台日斷交時任職外務省中國課首席事務官的日本前駐法國大使小倉和夫説,中華民國與中華人民共和國當時在國際社會上都堅持一個中國的政策,日本與中華民國斷交,真正的原因事實上就是「一個中國」的政策。

 

中江要介説,當時中華人民共和國與中華民國都堅持中國只有一個,承認其中一個,別外一個就不存在,當年日本並沒有宣布要與中華民國斷交,而是中華民國主動宣布要與日本斷交。

 

中江要介並且指出,一九六一年時在聯合國内開始出現中國代表權的問題,包括美國與日本在内的大國反應遲鈍,沒有想到台灣代表權的問題,經過十年之後,在非洲國家提案下,一九七一年中國代表權被轉移給中共,台灣也被排除在聯合國之外。

 

台日斷交時任職中華民國外交部國際組織司副司長的外交部前政務次長房金炎表示,一九六六年義大利提出「兩個中國」代表權的問題,當時的蒋中正總統認為是一大恥辱,未能同意,直到一九九三年台灣決定重返聯合國,所提出的方案幾乎與當時義大利的提案相同。

 

他説,一九六六年時,當時台灣與中共都在爭取非洲國家的支持,再加上中國大陸發生文化大革命,因此中華民國政府不能同意義大利的提案,在中華民國還沒有退出聯合國一年半前,當時支持中華民國與支持中華人民共和國的比例是五十一對四十九,處於非常危急的状況,外交部建議提出雙重代表權的問題,蒋中正非常憤怒,不過仍然策略性接受雙重代表權,但是最後表決時仍然以兩票引恨。

 

錢復表示,那一年雙重代表權的案子如果獲得通過,表面上看來中華民國仍然留在聯合國,而中共也能進入聯合國安全理事會,但是中共立場很清楚,表示只要中華民國還留在聯合國,中共就不進去;第二年阿爾巴尼亞再度提案時,就直接要求把中華民國排除在聯合國之外。

 

針對中江要介指出中華民國主動宣布與日本斷交一事,錢復舉例説明,一九六四年一月法國與中共建交時,中華民國並未與法國斷交,中華民國駐巴黎大使館繼續留在巴黎,兩週後在中共壓力下,法國外交部限令中華民國在七天之内撤館,自此之後,中華民國才採取斷交的方式,也就是即使不主動宣布斷交,還是會被迫斷交。

 

房金炎表示,在聯合國針對中國代表權的問題投票當天,比利時宣布與中共建交,立即影響聯合國會場的氣氛,比利時與中共建交,當然與當時美國國家安全顧問季辛吉訪問中國大陸有關。

 

錢復也表示,投票日是一九七一年十月二十五日,事實上季辛吉在後來的傳記中承認,他當時訪問中國大陸是為了安排第二年二月尼克森總統訪問中國大陸簽署聯合公報做準備,行程原預訂十月二十三日結束,他是故意引延兩天,到二十五日才離開,就是要讓毎一個國家都知道「字已經寫在牆上了」,即美國將倒向中共,希望他們都支持中共入會。

 

別外,政治大學國際關係研究中心助理研究員李明峻指出,一九七二年日本與中共建交的共同聲明中,日本對於中共一再表明台灣是中華人民共和國領土不可分的一部分的主張,只表示十分理解及尊重的立場,同時堅持日本已放棄對台灣的主權,無權再對台灣的歸屬表示意見。

 

他説,事實上,日本承認中共時,仍表示將繼續與台灣進行各種實質往來,其根據即是台灣並未受中共的管轄,因此無需中共的許可,逕自與台灣發展民間關係。日本參議員椎名素夫也表示,中共經常説台灣是中國的一部分,事實上這種説法是有問題的,例如中國的一部分土地過去曾被日本占領過,日本政府把它叫做支那,日本政府的用詞中曾經把支那列為日本的一部分,因此現在説誰是誰的一部分這樣的説法是很有問題的。
返信する
【お似合いカップル】外交文書公開。朝日の場合 (ゾンビ)
2006-01-30 20:38:59
(2002.12.24 14:34:35JST)



中国人連行、詳細に記述 外務省が外交文書公開

(朝日 2002.12.24 朝刊総合欄)

http://www.asahi.com/paper/front.html#PG10279

 

外務省は24日、東京・麻布台の外交史料館で28万4千ページの外交文書を公開する。今回は17回目で、第2次大戦中の中国人強制連行に関するまとまった記録が初めて明らかになる。連行された3万8935人のうち日本で死亡した人は6830人にのぼり、政府はその事実を隠そうとしていたことが分かる。台湾(中華民国)の国連代表権が中国に移る動きが出始めた、60年代の日本アジア外交を浮き彫りにする文書も含まれている。

 

その他の主な公開文書は次の通り。▽国際捕鯨委員会関連(46~68年)▽対ビルマ・マレーシア・ベトナム戦後賠償▽米国要人訪日(51~75年)▽関税貿易一般協定(GATT)関連(51~68年)▽チトー・ユーゴスラビア大統領来日(68年)▽インディラ・ガンジー・インド首相来日(69年)
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。