前回は:(1)
何かがいつもの私とは完全に違っていた。ホテルのバーで一人で飲んでいるなんて、やはりその筋の女だろうか? チラリとそう思ったものの、酒のせいで大胆になっていたのか、空になった私のグラスに目を落とし、お代わりを頼むかどうか尋ねたバーテンに、軽く頷くと同時に「あの女性にも一杯あげてくれないか」という英語のフレーズが淀みなくスラスラと口をついて出た。
そう言えば、出張前に必死で勉強したテキストの息抜き用コラムの中にそんなフレーズがあったなと思い出し、苦笑する。しかし昼間あれほど苦痛だった英語が難なく通じた事に気を良くした私は、ちょっと落ち着きを取り戻し、今度は慌てずゆっくりと二杯目のウィスキーを口に含んだ。
平日のためか、余り人の入っていないバーは、華やかではないものの、それなりにホテルのバーらしき品格が漂う。(見知らぬ女に酒を奢るなんて、余りにも見え透いていて場違いだっただろうか?)と今頃になって少し後悔した。が、ふと見るとバーテンが悪戯っぽく笑いながら私に注意を促しているのに気付き、ハッとして後ろを振り返ると、いつの間に酒を届けたのか、彼女がグラスを少し持ち上げにっこりと笑っていた。
私は再び顔が赤くなるのを意識しながら、自分もグラスを持ち上げ、遠くから彼女に微笑み返した。(どうしよう)私は心の中で素早く考えをめぐらせた。ここで彼女の席に移動するのはいくら何でも気がひける。しかし女性の方からこちらに来るのは更に不自然なのではないだろうか? ならば...
そんな、他愛のない事をあれこれ考えているうちに、結局行動に移せないまま、何となく機を逃してしまった。まあいいか。のこのこ出て行って途端に迷惑な顔をされたらたまらない。取り合えず喜んでもらえたようだし、ここは一つ紳士らしく振舞おう。
そう決めると、わけもなく満ち足りた気持ちになり、バーテンに勘定を部屋に付けるように言うと、サインを済ませて立ち上がった。去る以上、未練がましい男と思われるのも癪なので、今度は一切後ろを振り向かず、足早に店を出た。残念と言えば残念だが、こうした方が自分に自信を持てるような気がしたのだ。
入り組んだホテルの造りに少しとまどいながらも、見覚えのあるエレベーターホールにたどり着くと、昇りのボタンを押し、ほとんど人気のないフロアでエレベーターが到着するのを待つ。すると突然、今私が歩いて来た方向から、一人の女性が何か叫びながら走りこんで来た。見ると、私がバーに入るなり足元に投げ出した鞄、うかつにも忘れて店に置いてきてしまった、大事な書類の入った仕事用の重い鞄を手に、先程の女性が、美しい長い髪が乱れて頬にまとわりつくのもかまわず、ハァハァと息を切らせながら立っていた。
(つづく)(うっわー、クッサー)(香港でそんな話あるかいな)
(でも取り合えずつづけよう...かな?)