久し振りのブログは久し振りの雪
遠い昔を甦らせるこの時期に降る雪。
朝から夜迄ニュース番組ではこの話題で持ちきり。東京では電車に乗れず、何時間も駅の外迄列をなして並んでいる光景を映し出していた。「日本人は真面目なんだなァ、そんな思いをしてまで会社へ行こうとするなんて。学校だって休めばいいじゃない」・・・と思ってしまう私がいい加減なのでしょうね。まあ、私が学生でも勤め人でもないからなのですが。
・・・にしても、今の東京(都会)の人達って、自然の営みを甘く見過ぎているのは確かですよね。天気予報の精度が上がっているのに、スノー・タイヤを装着せずに何とかなると思い込んで事故を起こしているのですから。タイヤ・チェーンを装着していれば良いものを・・・。自然界に対する畏敬の念が欠如していますよ。東京は雪が降らない、或いは降ってもチェーン迄は・・・と思い込んでいるのでしょうね。愚かな事です。
さて、雪の思い出ですけれど、確かに現在は大雪のイメージが希薄になってしまう東京の状況ですけれど、私が小学生の頃は、大きな雪ダルマが作れる程降っていたものです。
その小学生時代、五年生の今頃の話しです。或る日先生が言いました。 「来年の今頃君たちは中学受験で忙しくなるだろうから、今日は授業をやめて、上野の山へ行こう」 という事になり、私達のクラスだけですが、学校に有ったスキーなどを持って(近くの人は家から持って来て)、何と上野の山でスキーやら雪遊びの課外授業となったのです。何個所かの坂道を利用して、凡そ半日私達は深く記憶に残る思い出作りが出来ました。どういう理由かこの事が翌日の新聞に載ったのですが、何処からも何の問題も発生しませんでした。 つまりは、そういう時代だったのです。そういう時代が有り得たのです。
これが現在だったらどうでしょう? 先ず、その担任の先生は抗議に晒されて(或いは何らかの処分が待ち受けていて)殊更問題になっていた事でしょう。それ以前に有り得ない事でしょう。ですのでなお一層心に浸み着いた出来事なのです。教師・教育、と云う事を考える時、私はその先生の事を常に基調とします。
そしてその後、東京に雪が降る事は殆ど無くなってゆきました。そうなって行く時間の流れに乗って、この街の人の出入りが活発化して、色を変えて行きました。その結果が現在の『合衆国・東京』なのです。
そして、だからこそ、雪が降ると遠い昔が遥かなる時空を超えて、私の記憶を甦らせるのです。見た目が全く異っているのに・・・。
昨夜、塾帰りの子供たちが、溶け残った雪をぶつけっこしていました。
子供の本質は変わらないな、と思いました。
いつの時代でも、子供達の本来の仕事は「遊ぶ事。遊びを通して世の中を学んで行く事」だと思います。
溶け残った雪をぶつけっこするなど、まさに子供の本質そのものですよね。
熟では世の中や人生を学べませんからね。