気の向くままに junne

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その様な人生を追及しています

'15. 「普通の女の娘」にはなれなかった 田中好子(スーちゃん) 

2015年04月21日 | 日記・エッセイ・コラム

 今でもアイドル 田中好子(スーちゃん)

    思い出は永遠に。

 

『普通の女の娘』にはなれなかった特別な女の娘、田中好子さん。

当時私は(私達は)深い悲しみの中で、新たな門出を祝福を以って見送ったものでした。キャンディーズ時代の日々が残したものは、今でも心をときめかせてくれます。アイドル・スーちゃんにはもう会えないと思っていたら、素敵な形で復活してくれました。

そう、少女から一皮むけて「大人に成った」田中好子として、再び姿を現してくれたのでした。本人の意志なのか、彼女を取り巻く状況がそうさせたのか、多くのファンの期待に応えてくれたのか、本当のところは判りません。でも、田中好子は帰って来てくれたのでした。

それも、素敵な女優として。

確かにキャンディーズ時代には、多くのファンを魅了するアイドルの頂点として存在していましたけれど、女優としての田中好子は、正に新たな境地を開いて歩み始めていました。活動期間としては再起後の方が長かったのは当然の事ですけれど、様々な分野に残した貢献度や影響力は大きなものが在りました。映画に於ける演技力は勿論努力の賜物という事も有りますけれど、天性の才能が開花したところにもその要因が有ったのは、これまた事実です。

 

ここで女優としての足跡を出演回数を中心として挙げてみると以下の様になる。

TVドラマは1980~2010年の間で86本。その内、主演は26本。映画は1980~2008年の間で28本。主演したのは1989年の2本だけで、その内の1本は『ゴジラvsビオランテ』でしたけれど、問題なのはもう1本の『黒い雨』の方です。実質こちらの方が初主演となるのですけれど、この映画で8つの賞を受賞しているのです。有名な賞名を挙げると、ブルーリボン賞・主演女優賞、日本アカデミー賞・最優秀主演女優賞、キネマ旬報賞…などです。更に1993年には『秋の駅』に於いて放送文化基金の女優賞を受賞しています。

この他ドラマ以外のTVで6本、舞台には1985・86・90年に掛けて4本出演しています。更に田中好子と云う女性の素晴らしさを物語る話しとしては、女優業の側ら、1996.4.~2011.3.の間にエイズ予防財団・日本エイズトップ基金・協力委員など7つもの仕事をこなしていたという話しが有ります。その他CMなど。

           

 1956年4月8日に生まれ、2011年4月21日に乳ガンで55年の人生の幕を閉じた素敵な女性。55歳になって僅か13日後の悲劇。生き急いだ…と言うべきか、充実した人生を求めてやまなかった…と言うべきなのか、解釈は色々と出来るでしょう。しかし何れにしろ、私の中で、田中好子という素晴らしい女性はこれから先も、確実に生き続ける事は間違いの無い事です。

 そして、4月21日は『キャンディーズの曲を必ず聴く日』である事に変りはないでしょう。

 今ここで改めて一言付け加えておきたいです。

 スーちゃん・田中好子さん、

 素敵な思い出を本当に有り難うございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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