気の向くままに junne

不本意な時代の流れに迎合せず、
都合に合わせて阿らない生き方を善しとし
その様な人生を追及しています

6.13. 長谷川章子 登場

2022年06月13日 | 日記・エッセイ・コラム
✼   この章子は(あきこ)と読む。後に同じ章子と書いて(しょうこ)という人が登場するので、今ここで注釈しておきます。
 
6.13 . 長谷川章子  登場 
 
石垣島から竹富島迄同船して泉屋に連れて来た二人の女の娘二人、大阪の瓦谷次代と福井正子が朝、石垣島のハーリー祭を観に行く為に他の数人と竹富を発った。彼女達はそのまま帰路につくと言っていた。その後9時過ぎに晴れたので例の二人、毛利・須藤と共に島内を歩き回った。泉屋から東岬に出て竹富牧場とは反対方向、左回りに歩いた。貝殻などを(どうしてだろうか)拾いながら歩いていたら急な雨(スコール)に見舞われた。部屋に戻る頃には、もう服を着たまま風呂に入った様にビショビショ、ずぶ濡れになってしまっていた。
服を着替え一服する頃には雨は上がっていた。ここでちょっと思ったのだが、那覇に初めて上陸した時に比べ、行動の波が少々変わりつつある今、荷物が多すぎる様な、不要とも思えるものが有る様な気になったので、今のうちに整理をする事にした。それで荷物の半分ぐらいを小包にして東京へ送る為に郵便局へ行った。
その道すがら再び降り始めた小雨の中を、例の二人が自転車(レンタサイクル)を押している女の娘と一緒に歩いて来るところに出逢った。
『へえー、人と仲よくなるのが上手いんだなぁ。私も見習いたいな…』などと思いながら、
『まあ、今は関係無いか…』と、すぐに気を取り直し、郵便局での用を足した。
泉屋に戻ってみると、先程の女の娘がオセロ・ゲームをしていた。勿論例の二人と。まだ始めたばかりというそのオセロ・ゲーム、どういうわけか第二戦目からは私が彼女の相手をする事になったのだが、初めは観戦していた二人はいつの間にか姿を消していた。知らず知らずのうちに熱中していたらしく、長いことゲームをしていた。口から出る、そのそばから忘れていく様な話しをしていた。
 
夕方6時過ぎ、泉屋の食事の時間。彼女は(何を考えての事か)私の食事が終るのを一人で待っていた。6:30pm〜6:45pm頃、まだ止まぬ雨の中、自転車を押す彼女を傘に入れ、民宿・大浜荘迄送った。
「すぐに食事を済ますから部屋で待っていて」
という誘いの言葉通りに彼女の部屋で待つ事にした。わざわざ持ってきてくれた灰皿。それ程吸い殻が溜まらないうちに彼女は戻って来た。缶コーヒーとビール二本とおつまみ、そして時の経つのも忘れる程の楽しい話し。
彼女、やっぱり私より少しばかり歳上だった。が、不思議な程そうは見えない。そしてその彼女、20歳の頃から旅をしているという、私にとっては旅の先輩の様な女性で、過去ニ・三度を除いてその殆んどが一人旅というのである。現在ではまだまだその様な女性は比較的に少ないと思う。いくらウーマン・リウ"だのキャリア・ウーマンだのと騒いでみても、現実の壁は未だに厳しいものが有ると思う。(その点、あの加藤清美は正にスゴイと思う)。
京都は舞鶴の生まれ、京女である。柔らかな細めの髪は黒く、天性の明るさを表した何となく見とれてしまう瞳。年上といっても、どうしてもそんな気がしない。互いに初めて逢った気がしないのは何故だろう。とても素敵な夜、味のあるヒール。アルコールの飲み方・味わい方を学んだ様である。
 
帰らねばならない時間がやって来て、彼女は言った。
「面倒だからここに泊まってっちゃいなさいよ。黙ってれば解らないから」
いくら冗談としても大胆な言葉。「そうだねぇ、そうしたいけど、…うん、やっぱり帰る」
「そう…残念ねえ…。じゃ、見送ってあげる。ああ、そうだわ、暗いからこれ貸してあげる。間違ってハブでも踏んだら大変だから…」
と言って手渡してくれたのはペンシルライトであった。私はそのペンシルライトを片手に、もう一方の手で握手をしながら「おやすみ」の言葉わ交わして大浜荘を後にした。郵便局の十字路から大浜荘迄14〜15mぐらいであろうか、そこ迄私が歩いて行く間、章子はずっと見送ってくれていた。振り返るその度に手を振ってくれて、その姿がこの目に映ると、私は彼女に借りたペンシルライトを大きく振ってそれに応えた。
 
泉屋に戻ると、10:45になっていた。例により(お決まりの?!)宴会が開かれていた。
『13日の金曜日』も悪くない。更に続く旅する一日の出来事。
感性は広がる…?!
 
 
旅先というものは、心を開放させる。その先には未だ見ぬ自分がいる。それを見誤らなければ、それは成長と呼べるものになる。
…と思う。

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