気の向くままに junne

不本意な時代の流れに迎合せず、
都合に合わせて阿らない生き方を善しとし
その様な人生を追及しています

6.20. 仕事が有った

2022年06月20日 | 日記・エッセイ・コラム
時の流れは何かを運んでいる ?!
密かに何かが私自身の中で起こり始めている。今迄と何一つ変る事の無い旅なのだけれども、初めから何かが変っている様な気がしてならなかった。もしも相違点を指摘するならば、帰宅の許されない(と言うよりも、そう意識していたと云う事)、誰一人として知る相手の居ない土地への旅烏…といったところ。今日迄に12人の仲間(?)と出逢い、多くの収穫を得た。どれがどう…と、言葉にはし難いが、それらを身に付けたものとしたい。
小浜島を8:30amに出て、石垣島に9:50amに着いた。以後、暫くの間は仕事探しやら部屋探しやらで三崎町をアテ無く歩いたのだが、何も見つからないまま飛び込んだ民宿の部屋で煙草を吹かし、タメ息をついていた。
暫くしての事、章子と一緒に入った民芸喫茶ザボンで出逢った男の事をふと思い出した。なんでこんな時に…と思ったが、思い出してしまったのだからどうしようもない。そう言えば、
「石垣に戻ったら、一度訪ねておいでよ」
みたいな事を言っていた。それは章子に対しての事だったのかどうかは判らない。でも、マア、ともかく挨拶をしておこう…と云う意味で出かけてみた。

その男の名は河野と言った。言葉から関西人だとは判っていた。勤めている所は波止場の近く、三崎町のジュータン・サパー「槇」と云うのがそれで、すぐに見つけ出せた。
一度しか会っていないのだけれど、別れを伝える為に立ち寄り話していたら、彼の行為に拠る機転からマスターに話しをしてもらい、私もそこで働ける様になった。それも明日から。好き嫌いを言わなければ『地獄に仏』の様なもの。これでここを離れる必要は無くなったと言える。19:00〜04:00。給料は未だ聞いてないけど、三食寝床付きとはこの沖縄に来て以来文字通り初めてである。今再び予定が変り、ここで少しお金を貯めて離島を廻ってから帰路に着く事になるが、まだまだここに居られる限りは…ここから離れ出て行きたくはないから何とか頑張ろう…と云うのが本音だ。


何とか居残りが可能になったこの石垣島。以後凡そ10週間、この八重山の陽光を浴びるに至った。

ここ迄略毎日の様に書いてきたけれど、都合に寄り、これから先は飛び飛びになります。余りにも内情的過ぎる事(個人情報に絡む事)で。タイトルに月日が書いてあれば、取り敢えずこの年の日記です。

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