自分らしい毎日を

大切な人に。
「いま」があることに感謝を込めて。

カントクとクスケーニャ 1998

2018-04-12 23:48:05 | 日記
1998年冬。
ペルーのクスコで飲んだクスケーニャ。
定番のラガーに加え、今ではキヌアのビールやブランコまである。


標高3000m級の街で飲むビール。
さすがに酔いも早かった。

今夜は、ペルーで少年野球を指導していて、
たまたまアレキッパの街で出会った
カントク(現在、畳屋)とともにペルー料理へ。



当時、ビール(瓶)を頼むと常温で出された。
冷蔵庫には冷え冷えのビールが
入っているにも関わらず。
どこへ行っても常温だった。

僕らは勉強した。
いつからかお店に行くと、まず冷蔵庫チェック!
ビールが入っていることを確認してお店を決めた。

挙げ句の果てには、自分たちでお店の冷蔵庫を管理。
自分たちでビールを出しては追加し、
冷やして飲んでいた。笑

それにしても未だに理由は分からない。
なんで「常温のビール」だったのだろうか。

https://miraflores-shibuya.owst.jp
http://kuriharatatamiten.com

また、インカで出会った仲間と一緒に、
セビッチェ食べに行こう!!



さぁ
今日も
元気に
明るく
楽しく
ペルーでの出会いに感謝して
最高の1日にしよう!

ひとりひとりの応援団
junworld

アフロマンがいた夏 1998

2018-04-06 23:29:06 | 日記
1998年 夏。
グァテマラ アンティグアで出会ってから20年。
アフロヘアーに深緑のスーツという格好でバックパッカーしていた男は、写真真ん中の彼以外見た事がない。
(当時はアフロだった)



アフロの理由を聞いたら「日本代表として、外人にナメられたらアカンからのー。」

その後、カリブ海に面した港で再び遭遇。一緒にウティラ島のスキューバーダイビングスクールへ。

彼はそこでもアフロヘアーを活かして(?)大活躍!

周りのダイバーが海中へ潜って行く中、海面から中々降りて来ない彼。
しびれを切らしたメキシコ人インストラクターがアフロの足を引っ張り強引に潜らせ合流した。
後から聞いたら「頭の中に溜まった空気が抜けず、浮き輪みたいになってしまい潜れなかった。」

まだまだ終わらない日本代表アフロマン。
地元のサッカーチーム(ホンジュラス代表)と、ダイバーによる即席の世界選抜によるサッカーの試合が急遽組まれた。
我らチームジャパンもフランスW杯に初参加したA代表のように世界選抜チームに参戦。
途中出場すると、アフロの周りには相手選手が2-3人でピッタリマーク。彼の風貌からコロンビアの英雄・バルデルマと重ね合わせ、即マークがついたのだ。
恐らく、周りからは「そこのバルデルマをマークしろ!!」と声が掛かっていたのだろう。

ただ、それも一瞬だった。

彼がボールに向かって走り出し、ギアを変えた次の瞬間、それは起きた。

ボールもまだまだ届いてない、
マーク以外誰もいないところで、
まさかのダイビングヘッド!!!

彼は決してバルデルマではない。
彼はバックパッカー・日本代表アフロマン。

起き上がった彼の周りから、蜘蛛の子を散らすかのようにマークはいなくなった。
そして、ドフリーの彼にパスが回ってくることは2度となかった。

そんな彼と広島で再会したのが、下の写真。1999年。


そして、今、ぼくらは東京で会っている。

バックパッカー仲間で彼ほど現地人(大人も子どもも)や外国人旅行者から声をかけられた男は他にいないのではないだろうか。
「外人にナメられる」どころか、
「外人から声を掛けられる」人気者だった。
まさしく「日本代表アフロマン!」



そんな彼とのグァテマラでの奇跡の出会いから、
20年経った今でもつながっていて、一緒に飲みに行って、そして、一緒に笑っていられる。
それが、何よりも嬉しすぎる。



次は広島に行かないと。

さぁ
今日も
元気に
明るく
楽しく
出会いを大切に
最高の1日にしよう!

ひとりひとりの応援団
junworld