【病状の経緯】
2005年7月
■かかりつけのH医院にて、初めてPSAの検査をする。(下表参照=6.03)
⇒その後、3~4ケ月毎に検査を実施。2007年3月までの間、徐々に上昇傾向。
でも、私は「PSAの数値って何?」、「どっこも、異常なんかないんだもん!」と、全く「どこ吹く風!」でした。
■そんな中、H医師は、PSA値8.0を超えたら、大病院を薦めようと数値の推移を見ていらっしゃったようです。
2007年3月
■かかりつけのH医師から、東京都港区のT病院(泌尿器科)の紹介を受けた。
⇒PSA値9.25と、H医師もがまんの限界があったようで、その後の行動は早かったです。
■「どこ吹く風」の私にとって、後で考えると、この時が前立腺がんと戦うスタートとなった訳で、
H医師の早い行動とT病院への紹介に感謝しています
2007年4月25日(水)
■東京都港区、T病院(泌尿器科)へ新患受付けと診察(K医師)
⇒H医師から、予約まで取っていただいていたにもかかわらず、やはり大病院。
1時間は待たされて、診察8分程度。(血液採取と、プリント受領)
プリント:①「前立腺癌とは? ~賢く対処するための考え方~」
②「前立腺針生検 検査説明書」
■受領したプリントに、「生検を行わなければ癌の確定診断ができません」との記述を見て、
「エッ! 自分は生検をやるのか? 癌なのか?」。その時点でまだ「どこ吹く風」の私も、
少々うろたえ気味でした。「生検」というのも、何やら恐ろしげ・・・!
2007年5月2日(水)
■T病院、2回目の診察(K医師)
⇒前回採取した血液から、PSA値10.6(下表参照)とのこと。
「で、どうする?」とのK医師の問いに、「生検するしかないですよね!」って、
プリントを見ていたので、つい答えてしまいました。
患者が決断を下した、最初の瞬間です。
(前立腺がんは、自分自身で意思決定していかなければならない時代なのです)
⇒生検日の予約(1泊2日)を取って、終了。
■この頃から、前立腺がんに関する情報収集を開始する。(ネットサーフィン、書籍)
2007年6月1日(金)~2日(土)
■生検(1泊2日)
⇒T病院に、10時入院。13時頃生検実施。
・実施前に、浣腸による強制的な排便を実施した。
・抗生物質を内服する他、点滴を受けながら、外来の奥の方の部屋にて実施した。
・砕石位(お産の格好)にて、肛門から超音波のプローベ(親指大の棒状のものと
言うが、実際には見ていません)を入れ、超音波で位置を確認しながら専用の針
で組織を8本採取した。
・プローベを挿入する際と、位置を動かす際に何とも言えない不快感があり、呼吸する
ことも緊張するが、痛みはありません。
また針を刺す時は、「パチンと音がしますよ」という掛け声と共に、ちょっとした
ショック感はあるものの、痛みはありません。
・合併症として「発熱」が危険らしく、一泊入院のシステムであるが、血尿の他には
問題なく、予定通り翌2日午前中に退院しました。
・入院中、看護士さんや検査医師さんの手厚い対応に感謝しています。
2007年6月13日(水)
■生検結果判明
⇒K医師から、生検結果を聞く。
・8本中3本から、がん細胞を発見した。グリーソンスコアは「4+3の7」とのこと。
・病期は、「B」だと考えられるが、次回ステージングを行うとのこと。
(MRI、骨シンチグラムの検査後、病期を判定する)
・プリントを渡され、「治療方法」を考えておくようにと説明を受けた。
プリント:「前立腺被膜内に限局した前立腺癌と診断された方へ」
(実際に被膜内に限局と診断された訳ではないが、それを前提としてプリントを渡された)
・次回、MRI&骨シンチグラム検査の予約を取って、終了。
■ここまでは正直、何かの間違いだろう!、せいぜい前立腺肥大だろうくらいに、たかをくって
いましたが、この日、がん宣告を受けた訳です。
(一昔前のがんは、家族がこっそり呼ばれて・・・・・・だったのですが、
今は本人に対し、いとも簡単にサラリと告知するのですねえ!! )
⇒本人が知らないと、がんと正面切って闘えないですからね。
2007年7月11日(水)
■MRI検査&骨シンチグラム検査(骨・間接MDP、HMDP)
⇒特筆するところはありませんが、骨シンチグラム検査は、悪性腫瘍の骨転移、疲労骨折や
骨外傷、関節炎や関節症等の検出を行う検査で、悪い箇所に集積する薬を注射してから、
3時間以降の検査であることから、1日がかりの検査でした。
■各種の検査結果が出揃う来週の診察日には、治療方法に対する意思決定をしなければなりま
せん。
前立腺がんの治療方法は、以下の4つであり、単独治療か併用治療が行われます。
①無治療経過観察
②手術療法
A.前立腺全摘除術(恥骨後式、会陰式、腹腔胸的)
B.高密度焦点式超音波法(HIFU)
C.クライオアブレーション(冷凍凝固法)
③放射線治療
A.外照射(3DCRT、IMRT、陽子線照射、重粒子線照射)
B.組織内照射(小線源永久刺入法)
④内分泌療法
2007年7月18日(水)
■結果判明
①PSA= 10.60
②生検= 8検体中、3検体にがん細胞あり
③GS(グリーソンスコア)=「4+3=7」
④ステージング =「cT2a、N0」
■治療方針選択のガイドライン
⇒治療方針選択のガイドラインは、
①PSA値、
②ステージ、
③グリーソンスコア、
④本人の性格、年齢、考え方、健康状態、
⑤QOL(生活の質) などを総合して判断します。
■T病院泌尿器科 K医師に、「他の病院の放射線科医にセカンドオピニオンを求めたい」
旨、申し出る。
⇒K医師は、快く引き受けて、検査データを”CD-ROM”に落とし込んでいただいた。
■治療方針の決断へ向かって
⇒実はこの日に至るまで、前立腺がんに関する書籍はもちろん、元々放射線に興味があった
ので放射線治療に関する書籍、インターネット上の前立腺がんに関する情報・治療方法・
(がん研や各病院の公式HP)、治療日記などの実体験記などを読んで、知識を蓄積して
きました。
⇒中でも、6月12日東京大学医学部で開催された「前立腺がん放射線治療研究会」に参加
して、IMRT(強度変調放射線治療)の手間隙かかる部分をコンピュータ化した
トモセラピーという最新鋭機が、都内の江戸川病院で稼動を始めたということを
知りました。 日本で7台目の稼動とのことでした。
『日本のがんの代名詞が「胃がん」だった頃、「がん=胃がん」、「胃がん=手術」、「がん=
手術」というスキームが、現医療界に残っている』という説明に、改革派としての自分は、
共感しました。
(東京大学医学部付属病院 放射線科准教授 中川恵一先生の講演)
⇒その後、トモセラピー<TomoTherapy>について、具体的に研究すると共に、実際に
江戸川病院まで行って、話しを聞きました。
⇒江戸川病院放射線科の川副さんから、的確で、患者思いの回答をいただきました。
はっきり言って、この時点では東京都江戸川区という、下町のローカル病院との思いが
ありましたが、話しを伺って安心感と信頼感が芽生えました。
⇒また、何と!上記フォーラムで講演を聞いた<中川恵一先生>が、江戸川病院で診察さ
れていることも聞き、かなり心強く感じました。
⇒徐々に「トモセラピー(TomoTherapy)」に魅せられてきました。
【前立腺がん発見までのPSA値】
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