昭和が戦後であったころ②
香具師
神社の縁日には、香具師が傷薬を売っていた。普通の家には富山の薬売りが廻っていて置き薬を置いてあるから、香具師の売る傷薬は売れないと思うが、娯楽のない時代であるから黒山の人だかりだった。袴をはいてひげを生やしたおじさんが、刀で自分の指をちょっと傷つけてから持参の軟膏を擦りこんで、ほーれもう治ったじゃろうというショーを見せる。そんなにすぐ治るのはおかしいと思ってみていると、隣にいた母親があれは手品で本当は傷つけてないんやと私に対してささやく。私は手品の意味が分からないので黙っていたが、なんとなく芝居であることはわかった。
このおじさんのよくとおる声とか、間合いの取り方とかはよく覚えているが今のテレビの芸人さんと同じくらいうまかった。もっとうまかったかもしれない。口上が終わって治った傷をお客一同に見せたあと「さあ欲しい人。」というと2人ほどが「買った。買った。」と勢い良く手をあげる。ここで母親が「あれはさくらと言って、この団の人なのよ。ああすればお客の中に買う人が出てくるから。」と教えてくれた。
おじさんの熱演にも関わらず、この2人以外に買った人はいなかった。従って私が見たイベントは、おじさんは無報酬ということになる。気の毒にやり損であった。私はあのさくらの人が、あとであの商品を返して、おじさんがお金を返すところまで見たかったがそれは無かった。母親はこう説明した。「あの一座はこうやって旅を続けて行くんだよ。旅芸人と一緒だがこうすると芝居小屋に金払わんでも済むやろ。」この意味は、もっと大きくなってからしかわからなかった。たださくらの人は、気合の入った声で「買った。買った。」と言うだけで一日の仕事が終わるようだからなかなか楽でいいな、ひげのおじさんと同じ給料なら断然さくらの方をやりたいなと思ったのでこれはよく覚えている。
香具師を見たのは一度きりであった。子供相手の紙芝居屋と同様テレビができて一挙に消えた仕事である。紙芝居屋の方は、見に行くことを厳しく禁じられていたので話には聞いていたが見たことは一度もない。テレビも黒電話も家に無かったが人々は、娯楽を求めていたしこうして十分かどうかわからないまでも娯楽が提供されていた。(しかもこの場合は無料になっている。)決して仕事ばっかりしていたのではない。暗い時代でもない。それなりに楽しかったのではないかと想像される。