小説 新坊ちゃん②大学生のころ
父親は工学部へ行って手堅い技術職に就くことを望んでいたようだが、なかなか立派な人でそれを口に出さなかった。当時高校で理系に行ったのに経済学部へというのは格好悪いこととされていた。人生の大事を格好がいいかどうかで決めるのはいかんと思うんだが、ついつい見栄を張ってしまった。これが「敗着」というものであった。プロの棋士なら何回戦かあるからたった一回の敗着で人生を失うというわけではないが、普通の人なら一回で将来を失うようなこともある。それが痛いほど分かったのは後々のことである。しかしこの時は敗着とは思わなかった。
私は理系にこだわり数学科へ行くことにした。当時の高校の数学の先生は特に私を別室に呼び出して「数学科へは行くな、おれみたいになるぞ。」とこんこんと説諭した。なるほど給料が安くて雑用だらけなのは願い下げであるが、見栄にこだわったのととにかくどこかの大学へ入っておいてそのあとでじっくり考えようとの算段をたてた。「考えてから走ってはいけない、考えながら走れ。」というのは、名言である。とにかく大学に入ってから考えるというのはじっくり考えてから先のことを決定するということだと当時は思っていたが、実は考えずに走り出すのと同じことである。無鉄砲というか向こう見ずというか甚だ慎重でないやりかたであった。失敗したと後々のいまに至るまで後悔している。
それでも大学に入ったのはいいが、世の中には私より偉い人賢い人が一杯ということを知っただけでたいして良いことはなかった。将棋も私より強いのが一杯いる。仕方ないから運の要素も強い麻雀ばかりやって四年間を過ごした。家に帰ると母親は今からでも退学して医学部へ行けと言う。これが辛くてだんだん家に帰らなくなった。血や骨を見なくていいなら行ってもよかったんだけどそうはいかないだろう。
大学生の間の試験は、結構ヤマを当てるのが旨いもんでまあまあの成績であった。勉強したのか遊んだのかどちらとも言いかねる四年間ののちに、就職の時が来てしまった。小さいときから何かと損ばかりしてきたが、就職の時は損はしなかった。本当に天から幸せが降ってくるような思いをした。今なら数学科はそれなりに役に立つところもあるが当時の数学科の就職は難しかった。それが、先輩がどこか遠いところの大学の助手採用になったのでアルバイトの予備校講師の口を私に譲ってくれた。そこであんまり後先考えずに予備校講師になった。これが当時は大変な高給であって大卒初任給の三倍から四倍はあったろう。わたしはしあわせな就職をしたことになる。ただし終身雇用でない、一年契約である。これがあとで大問題になる。一年契約だから就職したとは言えなかったがともかく自分で食べて行けるようになった。わたしは契約更新を四回してそれから五年間予備校講師を勤めることになる。その間少しずつだが給料(正式には講演料という名目である)が上がっていった。六年目も契約更新する気になればできたと思うがある事情でそれはこちらから辞退したのである。
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