昭和史(半藤一利著 平凡社)なぜ戦争を始めたかの説明
ヒトというものは知っているつもりであったこと(やや違和感を持っているが一応知ってるつもり)が「いや違う、実はこうである。」との説明を受けてそれが腑に落ちるときに快感を感じるものであるようだ。この本の戦争を始めたかの説明はどうも快感にまでは至らなかった。
この本(前編終戦まで)には、二つの大きな説明がなされている。なぜ日本は戦争を始めたのか、終戦直前までなぜ頑張ったのかである。このうち始めた原因についての説明は縷々されているのだが、実はわたしには些か理解ができないままである。
こういう争い事の本を読むときは、好きな人贔屓の人がいないと読みづらい。太閤記が読みやすいのは、我々は太閤さんを贔屓にしているからであろう。自分を太閤さんに重ね合わせて読むからである。なにも勝ったほうだけではない。義経弁慶のように負けた方に重ね合わせることも可能である。しかしこの説明ではだれにも自分を重ね合わせられないので読みづらいのである。
ここに例えば石原莞爾を主人公にして講談風に描けば読みやすいのであるがそうでない。淡々と教科書風に描いてあると(それがこの本の書き方としては当然であるが)どうもうまいこと頭に入らない。勝ったほうがわかっている講談はわかりやすいが、どちらが勝ったのかわからない川中島の合戦はワクワクしないから面白さがかなり落ちる。
中学高校の時の説明では、「資本は増殖しないと生きていけないものである。日本に明治以降発生した資本は自分が増殖する機会を求めて満州へ出て行った。軍隊はその資本の護衛である。」との説明を受けた。当時、資本の投下なら日本国内にも北海道とか他にもいっぱいありそうなものなのにと思っていた。それがこの本ではごちゃごちゃしていてわたしの理解が行き届かないながら軍人政治家の権力闘争として描かれている。つい10年ほど前に読んだ本では、アメリカがうまい事日本の中枢を操作して開戦に持ち込んだという説明もあった。(そういえばスパイ大作戦というテレビ番組では盛んにそういう設定で物語が作られていた。本当にそんなことができるものか。)歴史は彼が語る物語(his story)ということであるらしい。これは半藤さんが語る物語ということで聞いておくのがいいだろう。ただし以上の三つの説明の中では一番わかりにくい。
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