小説 徐福と童男童女3000人の子孫⑮
頼朝君の功績は、清盛君が欲望を逞しくしていくらでも貨幣持ち込んだための失敗を、銅銭を鋳つぶしてこしらえた大仏を皆に見せるという誰も思いつかないような作戦を立てたこと以外にもある。すでに世の中が変わったことを日本の津々浦々に「平家物語」を語ることでアナウンスしてまわったことだ。耳で聞いてわかる言葉の中に少しだけ難しい言葉を混ぜて作った美しい詩の語りを、琵琶の音色とともに聞かせる。聴衆は、それに聞きほれながら平家が滅んで新しい世が来たことを、頭の中に文章としてではなく感覚として自分の体の中に入れてしまう。
おそらく、山の中の土豪の大きな板の間に一族郎党が集まり薄暗い灯(ともしび)に浮かび上がる琵琶法師の語りに聞き入ったのであろう。琵琶法師を呼ぶ費用はもちろん聴衆持ちである。こんな安上がりのコマーシャルはない。しかも有効需要が発生して琵琶法師の失業対策になる。GDPが上がる。頼朝君のやったことは物語を書かせることだけで、この物語は何回もバージョンアップされた形跡がある。
私は、これら2件は頼朝君のような単純な人には発想できないのじゃないかと思っている。当時京都でどうしても出世できないでくすぶっていた中級官人の大江広元君が、東下りして頼朝君の顧問になっていた。彼の発案したものだと睨んでいる。広元君に問い詰めたが彼はうまく言い逃れしている。こんな発想は京の貴族の発想だろう。権力奪取やその維持は兵馬コウソウの間にだけではない、また陰謀や宮廷内クーデターだけでもない。皆が談笑と感激の間にもできるのである。
しかも、内部抗争に巻き込まれずに天寿を全うした。なぜ広元君を主人公にした講談本が無いのであろうか。大河ドラマが無いのであろうか。また大江神社 広元神社が無いのであろうか。会社や役所の中でさっぱり芽が出ないとぼやいてる人は一杯いる。その人々からお賽銭を集めることができるはずである。
なお、広元君のご子孫はその後再び西国に下って毛利という名乗りに変えたようだ。相変わらず名前の一時に「元」をいれて、大きな大名家になった。大変賢い一族でもちろんご子孫の方々も今私のひざ元にお越しになっている。
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