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『呂氏春秋』巻第十九離俗覧

2018-03-26 14:45:14 | 四書解読

巻十九 離俗覽

一 離俗

一に曰く。世の足らざる所の者は、理義なり。餘り有る所の者は、妄苟(理義を尊ばないこと)なり。民の情、足らざる所を貴び、餘り有る所を賤しむ。故に布衣人臣の行い、潔白清廉にして繩に中れば(高注:縄は正なり)、愈々窮し愈々榮え、死すと雖も、天下愈々之を高しとするは、足らざる所なればなり。然れども理義を以て斲削(タク・サク、きりけずる、つきつめる意)すれば、神農・黃帝も猶ほ非とす可き有り。獨り舜・湯のみに微ず(高注:「微」も亦た「非」なり)。飛兔・要褭(チョウ)は古の駿馬なるも、材は猶ほ短なる有り。故に繩墨を以て木を取れば、則ち宮室成らず。舜、其の友石戶之農に讓る。石戶之農曰く、「棬棬(勤苦する貌)たるかな、后の人と為りや。葆力の士なり(「葆力之士」は、力を用い、努力する人のことで、人に頼らないことを暗に非難している)。」舜の德を以て未だ至らざると為す。是に於てか、夫は負い、妻は戴き、子を攜えて以て海に入り、之を去りて、終身反らず。舜、又其の友北人無擇に讓る。北人無擇曰く、「異なるかな、后の人と為りや。甽畝(ケン・ポ、田のみぞとうね、の意から、民間を意味する)の中に居りて、游んで堯の門に入る。是の若くにして已まず。又其の辱行を以て我を漫さんと欲す。我之を羞づ。」而して自ら蒼領の淵に投ず。湯將に桀を伐たんとし、卞隨に因りて謀る。卞隨辭して曰く、「吾が事に非ざるなり。」湯曰く、「孰か可ならん。」卞隨曰く、「吾知らざるなり。」湯又務光に因りて謀る。務光曰く、「吾が事に非ざるなり。」湯曰く、「孰か可ならん。」務光曰く、「吾知らざるなり。」湯曰く、「伊尹は何如。」務光曰く、「彊いて力め詬を忍ぶ(「詬」は「恥」、努力家で我慢強い)。吾其の他を知らざるなり。」湯遂に伊尹と夏を謀り桀を伐ち、之に克ちて、以て卞隨に讓る。卞隨辭して曰く、「后の桀を伐つや、我に謀るは、必ず我を以て賊と為すなり。桀に勝ちて我に讓るは、必ず我を以て貪と為すなり。吾、亂世に生まれ、無道の人再び來たりて我を詬しむ。吾數々聞くに忍びざるなり。」乃ち自ら潁水に投じて死す。湯又務光に讓りて曰く、「智者之を謀り、武者之を遂げ、仁者之に居るは、古の道なり。吾子胡ぞ之に位せざる。請う吾子に相たらん。」務光辭して曰く、「上を廢するは、義に非ざるなり。民を殺すは、仁に非ざるなり。人、其の難を犯し、我、其の利を享くるは、廉に非ざるなり。吾之を聞く、『其の義に非ざれば、其の利を受けず。無道の世には、其の土を踐まず。』況んや我を尊くするに於いてをや。吾久しく見るに忍びず。」乃ち石を負いて募水に沈む。故に石戶之農・北人無擇・卞隨・務光の如きの者は、其の天下を視ること、六合の外の若く、人の察する能わざる所なり。其の富貴を視るや、苟も已むことを得可ければ、則ち必ず之に賴らず。高節厲行(節義を高くし行いを磨く)、獨り其の意を樂しみて、物之を害する莫し。利に漫(けがす)されず、埶に索かれず、而して濁世に居ることを羞づ。惟れ此の四士者の節なり。夫の舜・湯の若きは、則ち苞裹(ホウ・カ、つつむ)覆容し、已むことを得ざるに縁りて動き、時に因りて為し、愛利を以て本と為し、萬民を以て義と為す。之を譬うれば、釣者の魚に小大有り、餌に宜適有り、羽(うき)に動靜有るが若し。齊・晉相與に戰うや、平阿(齊の邑)の餘子、戟を亡い矛得たり。卻きて去り、自ら快からず。路の人に謂いて曰く、「戟を亡い矛を得たり。以て歸る可きか。」路の人曰く、「戟も亦た兵なり。矛も亦た兵なり。兵を亡い兵を得たり。何為れぞ以て歸る可かざらん。」行を去りて、心猶ほ自ら快からず。高唐(齊の邑)の孤叔無孫に遇い、其の馬前に當りて曰く、「今者戰いて、戟を亡い矛を得たり。以て歸る可きか。」叔無孫曰く、「矛は戟に非ざるなり。戟は矛に非ざるなり。戟を亡い矛を得たる、豈に責めに亢たらんや(高注:「亢」は「當」なり)。」平阿の餘子曰く、「嘻。還反りて戰わん。趨れば尚ほ之に及ばん。」遂に戰いて死す。叔無孫曰く、「吾之を聞く、君子、人を患いに濟るれば(高注:「濟」は「入」なり)、必ず其の難に離る。」疾驅して之に從い、亦た死して反らず。此をして衆を將いしむれば、亦た必ず北げじ。此をして人主の旁に處らしめば、亦た必ず義に死せん。今死して大功無きは、其の任、小なるが故なり。任、小なる者は、大を知らざるなり。今焉くんぞ天下の平阿の餘子と叔無孫と無きことを知らんや。故に人主の廉士を得んことを欲する者は、求むることを務めざる可からず。齊の莊公の時、士有り、賓卑聚と曰う、夢に壯子有り、白縞(しろぎぬ)の冠、丹繢の䘩(底本は「丹績」に作るが、畢沅により「丹繢」に改める、高注:「䘩」は「纓」なり。「繢」(カイ)は色模様。赤い色の冠の組みひも)、東布の衣、新たなる素履、墨き劍室、從にして之を叱し、其の面に唾す。惕然(おそれる貌)として寤むれば、徒に夢なり。終夜坐して自ら快からず。明日、其の友を召して之に告げて曰く、「吾少きより勇を好み、年六十にして挫して辱しめらるる所無し。今夜辱しめらる。吾將に其の形を索めんとす。期して之を得れば則ち可、得ずんば將に之に死せんとす。」毎朝其の友と俱に衢に立ち、三日得ず。卻きて自ら歿す。此を務に當れりと謂うは、則ち未だしきなり。然りと雖も、其の心の辱しめられざるは、以て加う可き有らんや(高注:「加」は「上」なり。尊ぶ意)。

二 高義

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