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『史記』項羽本紀

2017-07-22 10:56:54 | 四書解読
『史記』項羽本紀の解読ををホームページにアップしました。
項羽本紀

項籍は、下相の人なり、字は羽。初めて起ちし時、年二十四。其の季父は項梁、梁の父は即ち楚の將項燕にして、秦の將王翦の為に戮せらるる所の者なり。項氏は世世楚の將為りて、項に封ぜらる。故に項氏を姓とす。項籍少き時、書を學び成らず、去りて劍を學ぶ、又成らず。項梁之を怒る。籍曰く、「書は以て名姓を記するに足るのみ。劍は一人の敵なり、學ぶに足らず。萬人の敵を學ばん。」是に於て項梁乃ち籍に兵法を教う。,籍大いに喜ぶ。略其の意を知り、又肯て學ぶを竟えず。項梁嘗て櫟陽の逮有り(「逮」は及の義、連座で罪を受けた)。乃ち蘄の獄掾曹咎に書を請い、櫟陽の獄掾司馬欣に抵す(韋昭曰く、「抵」は「至」なり)。故を以て事已むを得たり。項梁、人を殺し、籍と與に仇を呉中に避く。吳中の賢士大夫皆項梁の下に出づ。呉中に大繇役及び喪有る毎に、項梁常に主辦(責任者)と為り、陰かに兵法を以て賓客及び子弟を部勒(部分けして人を統制する)す。是を以て其の能を知る。秦の始皇帝、會稽に游び、浙江を渡る。梁、籍と俱に觀る。籍曰く、「彼取って代わる可きなり。」梁、其の口を掩いて曰く、「妄言すること毋かれ。族せられん。」梁、此を以て籍を奇とす。籍、長八尺餘、力は能く鼎を扛げ(韋昭曰く「扛」は「舉」なり)、才氣は人に過ぐ。呉中の子弟と雖も、皆已に籍を憚れり。

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