2008年12月20日 発行
著者は1940年、白洲次郎と正子の長女として東京に生まれる。2001年10月に武相荘を記念館としてオープンさせ現在に至る。
この本を借りた日、あまりにも簡単そうだったのでクラムチャウダーとメモには残しませんでしたがインゲン豆とひき肉の炒め物を作って食べました。息子がたまたま帰って来ていて旨そうに食っていました。本にはレシピも載っています。とても簡単なのですが素材が豊かで、ああこういうもの作ったらいいのだ、食べたらいいのだと今後の生活の参考にしたいと思いました。
文章がとても面白かったので次郎と正子の人柄がうかがえる個所を抜粋しました。
1月
ふぐちり、ふぐ刺し、ふぐの白子焼き。お取り寄せ。父によくふぐを食べに連れていけとせがんだものですが、値段のせいか、腰が痛くてお座敷が苦手だったせいか、あまり良い顔をしませんでした。母が取り寄せてくれるようになりました。
生牡蠣。父は生牡蠣が大好きで、ロンドンに行くと、日本のとは形も違い、ひらべったくとちょっと渋い味がする牡蠣を食べるのを楽しみにしていました。あるときロンドンで。彼の記憶では彼の学生時代からあるという生牡蠣を食べさせるお店へ行きました。そこで、父の注文の仕方が悪かったせいか、ウェイターの聞き違いか、グラタンになった牡蠣が運ばれてきたことがありました。その時の父の怒りはただならないもので、店の給仕長と私でなだめるのに苦労しました。英語が通じなかったんじゃないのと言うと、もっと怒りました。
2月
ピロシキ。旧軽井沢のテニスコートのそばに、白系露人の経営していたロシア料理のレストランがありました。そこのレストランで初めて名前を知ったピロシキがおいしくて、しばしばその店で食べたり、買って帰ったりしたものです。このレストランのテーブルの上には、父の大学時代の思い出であるLEA AND PERPINSのソースが置いてあり、そのソースをピロシキにつけて食べたものです。
牛肉とにんにくの蒸し焼き。麻生総理大臣の甥御さんの話。
3月
芽キャベツ、アスパラガス。芽キャベツは父の大好物。シュー ドゥブリュッセルと、英語訛りのフランス語で言っておりました。アスパラガスは母の大好物でした。彼女はアスパラガスの根元の方をたくさん残して食べるので、根元の方をもったいないと思うほど切って出すと、それでもやはり根元を残して食べるのです。
いちじくと生ハム。いちじくの季節を母は楽しみにしていました。父にねだっていちじくの木を植えてもらったことがありましたが、実が食べ頃になったとたんに全部鳥のごちそうになりました。
4月
桜鱒の塩焼き。毎年桜鱒の時期を母は楽しみにしていました。
鯛の黒ずし。私は鯛のあら煮や、潮汁などの骨をしゃぶったりするのが大好きですが、両親は入れ歯がどうのこうのとか、自分たちの魚の食べ方が下手なことを棚に上げて、あまり良い顔はしませんでした。すし飯を皿に薄く敷き、上に鯛のお刺身を薄く切って並べ、煮切り酒と醤油を合わせて刷毛で塗り、木の芽を散らす。
すっぽん鍋。父が西洋料理のすっぽんのスープを飲んでいるのを見たことはありますが、鍋は、すっぽんに身が入っていて、苦手な骨のせいか、亀を連想してしまうのか、良い顔をしませんでした。京都に行くとよく母に食べに連れていけとせがんだものです。
やりいか、切り干し大根。私の感じからすると、父がたこやいかの煮た物をすきだというのは意外でした。
5月
アスパラサラダ。現在のようにアスパラガスがどこにでも売っていなかった頃から、アメリカで食べていたのでしょうか、母はこの時期になるとアスパラガスを食べたがっていました。
揚げワンタン。父はせっかちで、食事の前におつまみでビールを飲んだりすることができませんでした。この揚げワンタンはお気に入りの一品で、夫の母に教わったと言うと、料理のできる女はいいと父が言って、母の不興を買うのでした。
6月
クラムチャウダー。父はなぜか、クラムチャウダーには味もそっけもないクラッカーを欲しがり、私は何でこんなものがおいしいのだろうと思っていました。
伊勢えびのテルミドール。父母二人ともお刺身をあまり喜ばないし、味噌汁の具には面倒くさがって手を付けませんでした。テルミドールは彼らの青春の思い出があるらしく、二人とも大好きでした。
ローストビーフ。若いお手伝いさんが肉の赤い部分を見て火が通っていないと思い薄く切って炒めたら、父は起りましたが、私が知らないということを責めてはいけないといつも言うじゃないかと言いますと、黙ってローストビーフを炒めたものを食べていました。
オックステールのスープ。オックステールのスープを作ろうと思って煮ていますと、父が思いのほか早く帰って来て、「メシ、メシ」と騒ぐので、そのまま塩こしょうで味をつけ、上にねぎを散らして食べさせてしまいました。意外においしいので、いつもシチューを作る前に、故意に挫折しています。
中華ちまき。父は張り切って庭の竹の皮を取っておいてくれるのですが、皮にびっしり毛が付いていたり、硬かったりなので、使いものになりませんでした。父には使いものにならなかったとは気の毒で言えずじまいになりました。もし言っていたら、彼なりに何か工夫していたかも知れません。
7月
舌平目のムニエル。ロンドンに行くと、父とドーバーソールをよく食べに行きました。ドーバーソールはびっくりするくらい大きくてとてもおいしいものでした。
キャッシュ・ロレーヌ。最近は市販のパイ皮もおいしいものができて、手軽にパイ料理が作れるようになりました。両親が健在の頃は、そのようなものはなく、そこら中粉だらけになって嫌な思いをしたものです。
8月
蒸し鮑。母は夏になると鮑のお刺身を好んで食べましたが、貝柱と言うのでしょうか、貝殻に付いている部分を横に切ったところを、ほんの二、三枚つまむだけで、他の部分は固いと言って手をつけませんでした。
鰈の煮つけ。父は魚の煮付けをあまり好きではありませんでしたが、鰈の煮付けだけは大好きでした。
いなりずし。父は母の分も食べてしまうほど、いなりずしが好物でした。
オレンジのアイスクリーム。私が初めてアイスクリームを食べたのは、父が講和会議のためにアメリカに行った際、帰りに立ち寄ったハワイで買って来てくれたものを食べた時です。こんなにうまい食べ物が世の中にあるのかと思いました。
9月
鮑とウニのご飯。父が東北電力にいた頃に、いちご煮というギョッとするような名前のものをどこかで食べた、と聞いた記憶があります。青森に転勤した友人がおみやげにいちご煮の缶詰をくれました。ウニをいちごに見立てたもので、ウニと鮑を煮たものでした。その缶詰でご飯を炊くとおいしいと、缶詰に書いてありましたので、炊いてみると、なるほどとてもおいしいのでした。父はいちご煮のことをまったくわすれていました。
てぃびち。沖縄に行くと、豚足を買って来ます。豚の足を柔らかく煮込んだものがてぃびちです。パリには皆様よく御存知の「ピエ・ドゥ・コション」というレストランがありますが、こちらも豚足という意味です。父はピエ・ドゥ・コションに行ったことがあるようなことを言っていました。
10月
タンドリーチキンといちじく、サフランライス。ロビンおじの奥様でインド出身のクレアおばさんが、この料理を食べさせてくれた覚えがあります。彼女も母と同じで、食材は買って来ても、自分で料理をしているのを私は見たことがありません。
11月
鮭の冷製。父は塩鮭が好きで、よく一尾買ってきました。塩出ししてこのような料理も作ったりしました。でもやはり父は、塩鮭とご飯の方が好きな様子でした。
鶏と栗の煮込み。父は栗が大好きで、昔、栗を植えて栗林を作っていました。
クーグロッフ、かりんジャム。かりんのジャムを、母は毎年楽しみにしていました。
12月
鯛のあら煮。一尾の鯛の身は父と母が食べて、私のためのあら煮です。
ほうれん草のおひたし。採りたてのほうれん草があれば、おひたしと決まっていました。
越前がに。冬になると、よく両親に頼んで、京都の丸弥太さんから取り寄せてもらい皆で夢中で食べたものです。かには甘酢ではなく、しょうが汁とお酢だけでいただきます。
花豆のお赤飯。軽井沢のあたりでは、お赤飯と言えば、花豆です。父はよく花豆だけつまんで食べていました。
(2022年12月 西宮図書館)