カラヴァッジョ展
2016年3月1日~6月12日
国立西洋美術館
タンツィオ・ダ・ヴァラッロ
《長崎におけるフランシスコ会福者たちの殉教》
115×80cm
ミラノ、ブレラ美術館
1597年2月、秀吉の命により、長崎で26人のキリスタンが処刑された事件。
当時「ただ古代ローマの大迫害時代にしかその例を見ない」ような大規模な殉教は、西欧世界に大きな衝撃を与える。この事件を記す史料が大量に存在するらしい。
1596年12月京坂のフランシスコ会士6人と彼らとともにいた日本人同宿17人、イエズス会日本人イルマンら3人の合計26人が捕らえられ、片耳を削がれた上で洛中引き回しをされ、徒歩で長崎に曳かれ、翌年2月5日長崎西坂の丘で十字架に架けられる。
1627年に教皇ウルバヌス8世により列福されると、多くの画家により絵画化される。
1862年に列聖されるまでは、フランシスコ会とイエズス会の対立を反映し、26人が揃って描かれることはほとんどなく、フランシスコ会用には23人版、イエズス会用には3人版が制作されていたという。
本作は、フランシスコ会用の23人版である。
後景には磔刑の11人、前景には磔刑準備中の12人。
舞台は長崎のはずだが、日本らしい要素はどこにも見当たらない。
同種テーマで実見したことのある作品。
ジャック・カロ
《日本二十三聖人の殉教》
1627年
国立西洋美術館
本作もフランシスコ会用の23人版で、全員が磔刑の場面。
こちらも日本らしい要素は全く見当たらない。
2011年サントリー美の「南蛮美術の光と影」展に出品された、ローマのジェズ教会所蔵作品から2点。
徳川幕府になってから、1619年および1622年の大規模な殉教である。
《元和五年、長崎大殉教図》
《元和八年、長崎大殉教図》
実際に処刑の場面を見た日本人が禁教後に逃れたマカオにて制作したものとされている。
タンツィオ・ダ・ヴァラッロは、1582年頃、ピエモンテ地方で生まれ、主に北イタリアの同地方やロンバルディア地方で活動。
若い頃にローマやナポリに滞在し、カラヴァッジョ様式に触れる。
世界遺産となっているヴァラッロのサクロ・モンテ(聖地巡礼の仮想体験をするための宗教施設)の礼拝堂装飾に携わり、その発展に寄与する。1633年死去。
2014年にナポリのPallazo Zevallos Stiglianoにて「Tanzio Da Varallo Incontra Caravaggio. Pittura a Napoli nel Primo Seicento」展が開催されたようだ。
2001年のカラヴァッジョ展でも次の2作品が出品された。
《聖フランチェスコを伴う聖母子》
1608-10年頃
コッレディメッツォ(アブルッツォ州キエーティ県)、サン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ教区聖堂
《キリストの割礼》
1610年頃
ファーラ・サン・マルティーノ(アブルッツォ州キエーティ県)、サン・レミージオ教区聖堂