東京でカラヴァッジョ 日記

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《国之楯》を見る -「小早川秋聲」展(加島美術)

2019年09月09日 | 展覧会(日本美術)
小早川秋聲
無限のひろがりと寂けさと
2019年8月31日〜9月16日
加島美術(東京都中央区京橋)
 
 
   日本画家・小早川秋聲(1885〜1974)の関東圏初の回顧展だという。
 
   代表作《国之楯》のほか、戦争画も何点か出品されると知って、行ってみる。
 
   その日はトークイベントの日で、イベント会場となる1階は鑑賞できない。2階のみ鑑賞していったん退出。イベントが終了した夕刻に再訪。1階は相当数の作品が撤去されたままであったが、最低限見たい戦争画2作品《国之楯》と《日本刀》は展示されている。
 
 
   私が秋聲の名とその戦争画を知ったのは、ずいぶん昔の『芸術新潮』による。
   いつか観たいなあと思っていると、意外に早く鑑賞する機会がやってきた。数ヶ月後か数年後だったかは定かではないが、ある展覧会に《国之楯》が出品されていたのだ。黒い背景に、横たわる軍人、顔には「寄せ書き日の丸」が覆いかぶさっている。戦死者の象徴的な姿。インパクトのある作品。この作品を見た当時の人の多くは涙を流すだろう。実際に見た人はほとんどいなかっただろうけど。
   今回は2回目の鑑賞となる。
 
 
   1931(昭和6)年以降、秋聲は、関東軍参謀部嘱託、陸軍省嘱託など従軍画家として、戦地に毎年のように赴いたらしい。10年以上の間に、多数の戦争画を制作したようである。戦後、秋聲は自らも戦犯として捕らえられるだろうと覚悟していたという。
 
 
小早川秋聲
《国之楯》
1944年
京都霊山護国神社蔵(日南町美術館寄託)
 
   天覧に供するために陸軍省の依頼で描く。画題は自由、秋聲自身に任される。
 
   秋聲は、当時中学生の長男をモデルとする。アトリエに横たわらせ、「寄せ書き日の丸」をかぶらせる。その頃海軍に入ることとなっていた長男は「戦場に行く前に、既に戦死した」と冗談まじりに語るが、夫人はその様子を嫌がったという。
 
   部下を引き連れてアトリエを訪ねてきた師団長は、作品を見て圧倒された様子で帽子をとり、画面に向かって深々と頭を下げる。将校たちも一斉に背筋を伸ばし、敬礼する。東京の陸軍省への搬送を手伝いに来た女性は、画を見てその場に泣き伏す。
   陸軍省は受け取りを拒み、秋聲に返却される。作品はずっと秋聲の元に保管される。
   作品は当初、兵士の頭部背景には金色の円光、体の背後には桜の花弁が降り積もったように山なりに描かれていたらしい。
   戦後、秋聲は背景を黒く塗り潰し改題する。さらに昭和40年代前半、一部改作して現題に再改題する。
 
   その後作品は、京都霊山護国神社に献納される。現在は、鳥取県日野郡の日南町美術館に寄託されている。
 
   日南町美術館は、秋聲の父親が住職を務めていた光徳寺のある日野町の隣町であり、地元の画家・秋聲の作品を400点近く管理(ほとんどが寄託)。2000年以降ほぼ毎年のように展覧会を開催するほか、画集の刊行、詳しい年譜の作成などの活動をしているとのことである。
 


1 コメント

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ユディトについて (マタイ)
2019-09-10 18:58:12
はじめまして。
私もカラヴァッジョが好きなので、(初心者のド素人ではありますが)こちらのブログをいつも楽しませていただいております。
大阪展のユディトについてのお書きになられていたので、思い切って初めてコメントをさせていただきます。(そちらの記事にコメントが出来なかったので、こちらに失礼させていただきます。)
私は幸いなことに道立近代美術館の近くに住んでいるので、既に3回ほど訪れているのですが、先月30日に訪れた際には大阪展のチラシ(ユディトを全面に押し出したデザイン)が置かれていたのですが、今月1日夜にホームページを確認したところ、展示作品から既にユディトだけが削除されておりました。気になって4日に美術館を再訪したところ、大阪展のチラシは撤去されておりました。
展覧会自体は未着作品が8点あるなかでも、見どころ満載なのですが(個人的には「リュート弾き」、「聖セバスティアヌス」、「洗礼者聖ヨハネ」が特に好きな作品です。)目玉の作品が到着するかどうか分からないハルカス美術館の関係者は気が気ではないでしょうね。何とか無事に来日を果たしてくれることを願うばかりです。
長文になり失礼いたしました。
今後のブログも楽しみにしております。
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