ボイマンス美術館所蔵
ブリューゲル「バベルの塔」展
16世紀ネーデルラントの至宝-ボスを超えて-
2017年4月18日~7月2日
東京都美術館
ボス油彩画真筆2点が並んで展示される。
順路に従い、まず《放浪者(行商人)》から観る。
《放浪者(行商人)》
1500年頃
71×70cm
図版からは地味で平面的な作品を想像していたが、とんでもない。画面の表情が富んでいて、びっくりするほど魅力的な作品である。
貧しい身なりをした男。
放蕩息子、旅人など色々と解釈されてきたようだが、本展では、放浪者または行商人とされている。
この男と同じような男は、プラド美術館所蔵の三連祭壇画《干し草車》の外翼(折り畳める左右両翼の外側部分)にも描かれている。
「誘惑に惑いつつ、人生の選択に迷うこの時代の男を象徴」。
会場内の詳細部分解説パネルを参考に、何が描かれているか見ていく。
1)貧しい身なり
右足はブーツ、左足はつっかけのような靴。揃ってこそいないものの、特にボロいわけでもなさそうだ。
服装は、片脚の裾がほころび、もう片脚も穴があき膝小僧が露出。被り物も穴があいているのか、白髪が飛び出ている。こちらはボロである。
2)持ち物
背負い籠を体にくくつけている(どのように体にくくりつけているのか、よく分からない)。
籠には、猫の毛皮と木の杓が結びつけられている。これらは男が商う商品との説明である。
手にする帽子には、キリが糸で留められているので、男は靴の修繕もやっている、との説明である。
籠の中には何が入っているのか。男は何を商っているのか。猫の毛皮が商品って、何に使われるのか。ある本には、「一種の護符、また欲望、好色の、あるいは行商の象徴ともされる」とある。商品そのものというより象徴と考えるほうが確かによいかも。
3)あばら屋
屋根の棹先には水差し。鳩小屋。白鳥の看板。これらは家が娼館であることを示す。家の入口では男が女にいちゃつき、家の裏手では男が小用を足している。家の窓からは呼び込みだろうか女の顔がのぞいている。
放浪者(行商人)の表情はどう解釈すべきか。単なる通りすがりなのか。娼館の誘惑と戦っている最中なのか。娼館を立ち寄った後なのか。去りがたく思っているのか、浪費を後悔しているのか、ちょっとしたトラブルを苛立たしく思い出しているのか。
4)フクロウ
画面上部、男の頭のほぼ真上あたり、木に止まるフクロウ。悪徳の象徴であると同時に知恵の象徴であるフクロウ。本作には、道徳的な意味が込められているのだろう。
男はどこを歩いているのか。描かれる牛、犬、豚、鶏にも意味があるのか。
後景には、特段これという特徴のあるものは描かれていないようだ(細い柱が立っているのは気になるけど)。
本作には、ボス作品の代名詞「ボス・モンスター」は登場しない。
5)円形の縁
鏡を連想させる円形の縁。鑑賞者は、鏡に写った自分の姿を見るように、この男の姿を見ることを求められているのか。
私も、この男のような表情をして、この絵の前から立ち去ったのであろうか。
この絵は、もとは三連祭壇画の外翼に描かれていた。
しかしながら、19世紀に、何者かの手により、祭壇画は解体される。
左翼と右翼については、ノコギリで、板の表と裏とを綺麗に切り離される。
切り離された外側の2枚の絵は、接着材でつなぎ合わされ、一部を切り詰められて、独立した1枚の絵に仕立てられる。それが本作である。
そして別々に売却される。
現在、左翼上部《愚者の船》はルーヴル美術館に、左翼下部《快楽と大食の寓意》は米・ニューヘブンのエール大学附属美術館に、右翼《守銭奴の死》はワシントン・ナショナル・ギャラリーに、つなぎ合わされた外翼《放浪者(行商人)》はボイマンス美術館にと、分蔵されている。
なお、中央パネルは現存しておらず、何が表されていたのかも分かっていないという。
(「カナの婚礼」が描かれていて、ボイマンス美術館が所蔵する《カナの婚礼》がボスの追随者による中央パネルの模写作品という説もある。)
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