東京でカラヴァッジョ 日記

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《聖プラクセディス》ー上野公園のもう一つのフェルメール

2018年10月21日 | フェルメール
フェルメールに帰属
《聖プラクセディス》
1655年、101.6×82cm
個人蔵(国立西洋美術館へ寄託)
 
 
   聖プラクセディスとは、どんな聖人?
 
   ヤコブス・デ・ウォラギネ『黄金伝説』人文書院刊を確認すると、たったの5行で終わっている。
 
・聖女プラクセディスは、聖女ポテンティアナの姉妹。使徒の弟子である聖ノウアトゥスと聖ティモテウスの兄弟。
・姉妹は、キリスト教徒迫害の嵐が吹きすさんだとき、大勢の信者たちの遺体を埋葬し、のこった財産を貧しい人たちにわけあたえた。
・最後に、ふたりは、やすらかに眠りについた。紀元165年頃のこと。
 
   注書きで、ローマのサンタ・マリア・マジョーレ教会の近くにある姉妹の名儀聖堂についての説明がある。
   サンタ・プラッセーデ教会とサンタ・プデンツィアーナ教会。
   両教会とも、古いモザイク画があることで有名。前者は9世紀制作、後者は5世紀初め制作でローマの教会では最古だという。
   「姉妹は、迫害された信者の看護をし、サンタ・プラッセーデ教会には、いまなお姉妹が殉教者たちの血をひたして持ち帰った海綿をしぼったと言われる水盤がある」そうだ。
   海綿が聖プラクセディスのアトリビュート(持物)。
 
 
 
   さて、フェルメールに帰属《聖プラクセディス》
 
   イタリアの画家フェリーチェ・フィケレッリ(1605-1660)が1645年頃に制作した作品《聖プラクセディス》(フェラーラ、ファルニャーニ・コレクション蔵(2015年時点))をフェルメールが模写したと考えられている作品。
 
 
   フェリーチェ・フィケレッリって誰?
 
   1605年サン・ジミニャーノに生まれ、トスカーナで活動、1660年フィレンツェで亡くなったイタリア・バロック期の画家。本作の原作者の件以外は、あまり注目されることのない画家のようだ。Wikipediaの画家ページに掲載の作品画像は、《聖プラクセディス》のほかは、クレオパトラとルクレツィアというエロティック絵画2点。
 
【フィケレッリの原作】
 
 
   作品の来歴など。
 
   1943年にニューヨークで所在が判明(それ以前は不明)。
   1969年にフェルメールへの帰属が提唱され(その年、所有者移転)、1986年、フェルメール研究の世界的権威ウィーロックがその見解を補強する論文を発表。1987年、ニューヨークのバーバラ・ピアセッカ・ジョンソン・コレクション財団が購入。1995-96年のワシントン/ハーグでの歴史的回顧展のほか、2000年の大阪、2012-13年のローマでの回顧展に出品。
   財団オーナー死去の翌年2014年、クリスティーズのオークションに出品され、約11億円で落札。国立西洋美術館が新たな所有者から寄託を受け、2015年3月17日から常設展示を開始。
 
   2000年の大阪の回顧展に私も行ったが、その時は他のフェルメール4作品ばかり見て、何故かひとつ手前の部屋に展示されていた本作については、混雑もあって軽く流した程度で済ませている。
   国立西洋美では、常設展示開始時に鑑賞、以降も何度か見ている。
 
 
 
   海綿から殉教者の血を絞り出し、壺に注ぐ聖プラクセディス。
 
   フェルメール作品とする根拠の一つ、署名と銘文を確認する。
 
   左下の署名・年記。
   確かに「Meer 1655」とある。 
 
   右下の銘文。
   苦戦。なんとか文字らしいものがかすかに見える程度。
  「Meer  N  R…o…o」とは読めない。
 
 
   イタリアを訪れた形跡のないフェルメール。イタリアから持ち出された可能性が低いフィケレッリの原作。
   ウィーロック以外の多くの美術史研究家はフェルメールへの帰属を疑問視しているらしいし、ウィーロックが総合監修を務める今回の東京のフェルメール展が掲げる「9/35」の母数に、本作は含まれていない。
 
 
   作品自体はなかなか良い。原作にはない十字架を手に持たされた聖女、その表情と行為の落差。空の青には高価なラピスラズリが使われているという。
   いつまでも国立西洋美術館にあるわけではないだろう。あるうちに何度でも見ておきたい作品である。


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