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【画像メモ3】印刷写本 - 「内藤コレクション 写本 - いとも優雅なる中世の小宇宙」(国立西洋美術館)

2024年07月05日 | 展覧会(西洋美術)
内藤コレクション
写本 - いとも優雅なる中世の小宇宙
2024年6月11日〜8月25日
国立西洋美術館
 
 
6章「時祷書」より
 
 
印刷写本
 15世紀より普及した印刷技術は、次第に写本制作にも応用されるようになった。特に時祷書制作の一大中心地であったパリでは、幅広い社会階層に属する人々から寄せられる大きな需要に応えるべく、15世紀末頃から時祷書の印刷本出版に乗り出す者が現われた。シモン・ヴォートルやコブレンツ出身のティールマン・ケルヴェールは、そうした出版業者の代表的な存在である。
 本展には印刷本の時祷書零葉を4点出品する。そのうちNo.119はケルヴェール、No.120はヴォートルによって出版された時祷書由来の作例である。またNo.122は、ケルヴェール没後、その事業を引き継いだ妻のヨランド・ボンノムが出版した時祷書に含まれていたと推測される。ヨランドは、14世紀からパリで書籍業を営んでいたボンノム家の出身で、夫の死後30年にわたって出版業を切り盛りした。
 いずれの作例も、文字と装飾は金属凸版技法を用いて獣皮紙に印刷されている。No.121の「羊飼いへのお告げ」場面の原画を担当したジャン・ピショルは写本の彩飾画家であったが、1504年以降、印刷された時祷書の版画挿絵の原画も手掛けるようになる。そして1520年頃までには、パリのほとんどの出版業者が彼の原画に基づく版画を用いるまでとなった。印刷工程が終了した各紙葉には、イニシャルや彩色、赤い罫線などが人の手で付け加えられ、より格が高いとみなされていた写本風に仕上げられている。
 
 
 
No.119
黙示録のバラ窓の画家(アンヌ・ド・ブルターニュのいとも小さき時祷書の画家)原画
時祷書零葉
フランス、パリ、ジル・ルマークルのために
ティールマン・ケルヴェール印行
1503年(グレゴリオ暦1504年)1月10日
金属凸版に手彩色、金/獣皮紙
内藤コレクション
 
 
 
No.120
ジャン・ピショル原画(「降誕」);黙示録のバラ窓の画家(アンヌ・ド・ブルターニュのいとも小さき時祷書の画家)原画(装飾枠の物語サイクル)
時祷晝零葉
フランス、パリ、シモン・ヴォートル印行
1507年頃
金属凸版に手彩色、金/獣皮紙
内藤コレクション
 
 
No.122
黙示録のバラ窓の画家(アンヌ・ド・ブルターニュのいとも小さき時祷書の画家)原画(「鞭を持ったアグリッパの巫女」、「揺り籠を持つサモスの巫女」)
時祷書零葉
フランス、パリ、ヨランド・ボンノム印行(?)
1520年代(?)
金属凸版に手彩色、金/獣皮紙
内藤コレクション
 
 
 
No.121
ジャン・ピショル原画
時祷書零葉
フランス、パリ、ギヨーム・ユスタスのために
フィリップ・ビグーシェ印行
1508年頃
金属凸版に手彩色、金/獣皮紙
内藤コレクション
 


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