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【画像メモ】2022年11月下旬〜2023年2月の「未来の国宝」-書画の逸品(東京国立博物館総合文化展)

2023年02月08日 | 東博総合文化展
未来の国宝
- 東京国立博物館 書画の逸品 -
東京国立博物館本館2室
 
 
【11月22日〜12月25日】
 
《形見の直垂(虫干)》
川村清雄筆
カンバス・油彩、1899~1911年
 
 
 
 
 着物姿の少女が左手をのばし、何かに思いを募らせるかのように、白い衣装をみつめています。この作品は明治時代における油彩画の先駆者のひとり、川村清雄(1852~1934)が恩人ともいえる勝海舟(1823~99)の死を悼み、亡き恩人に捧げられた万感の思いをこめた絵です。
 少女がまとう白い直垂は、勝の葬儀の際に棺を運んだ川村自身が着たものです。右の小さな棺の上にのった洋装の石膏胸像は勝の肖像写真をもとにしたものといわれています。和蘭絨毯や勝の朱の式服(礼服)、能装束、古代ローマの火皿などといった勝の遺愛の品々が、花を添えられて並べられています。
 川村は旗本の家に生まれ、明治維新後早くに渡欧してイタリアやフランスで本格的に油彩画を学び、西洋の伝統的な技法を身につけました。緻密なマティエールを表現する高度な画力を持つに至った川村は、帰国後には絹や金銀箔など、日本画の材料と手法を積極的に取り入れていきました。この作品のなかでも、美しい色彩によって、和洋の衣装や道具が対照するように構成されて、西洋の絵画である油彩画に和の趣が強く描き出されています。
 
 
 
【1月2日〜1月29日】
 
《玄圃瑤華(げんぽようか)》
伊藤若冲自画自刻
紙本拓版、江戸時代・1768年
28件のうち
 
「紫陽花・冬葵」
あじさい・ふゆあおい
 
「石竹・梅花藻」
せきちく・ばいかも
 
「未草・鶏頭」
ひつじぐさ・けいとう
 
「瓢箪・夾竹桃」
ひょうたん・きょうちくとう
 
「薊・粟」
あざみ・あわ 
 
「蕪・鳳仙花」
かぶ・ほうせんか
 
 
 伊藤若沖(1716〜1800)は、江戸時代に京都で活躍した画家です。色鮮やかな花鳥画で知られていますが、本作のようなモノクロームの世界にも、そのセンスを遺憾なく発揮しました。
 「玄圃瑤華」は全48図、種々の草花と野菜、昆虫などを組み合せた、若沖53歳の時の作品。賛は相国寺の梅荘顕常(大典)によるものです。正面彫りした版木の上に濡らした紙を貼り、紙の上から墨をほどこすと、彫って凹んだ部分が白く残る「拓版画」という特殊な技法で制作されています。若沖自身が版を彫り、版木を管理していたことでも貴重な作品です。
 漆黒の背景にモチーフが白く浮かび上がる劇的なコントラストにより、若沖特有の大胆な構図がより際立ち、各図ともに植物や虫の特徴を的確に捉えた生き生きとした画面に仕上がっています。「玄圃」は仙人の居どころ、「瑤華」は玉のように美しい花の意を持ちますが、本作はまさに、そうした美しさをそなえた作品といえるでしょう。 
 江戸時代後期に活躍した琳派の画家 酒井抱ー(1761〜1828)の作品や、現在の当館のポスターにも取り入れられ、時代を越えて人々を魅了し続けている名品です。
 
 
 
【1月31日〜2月26日】
 
《江戸城本丸大奥御対面所障壁画下絵》
狩野(晴川院)養信筆
紙本着色 江戸時代・19世紀 
 
 

 本作品は、天保15年(1844)、火災後の江戸城再建のため制作された本丸大奥御対面所の襖の下絵です。

 描いたのは幕府奧絵師の狩野晴川院養信(1796-1846)。再建の際、幕府は晴川院に、火災前に描かれていた障壁画の絵様と、かつてそれを描いた絵師の名を調べるよう命じました。従前と同じ絵様にすることで再建にかかる時間を短くし、座敷の格に応じて絵師を決めるためでした。晴川院は、原寸より小さな下絵を描き、調べた結果とともに幕府に提出しました。本作品は、このとき提出された下絵の一つです。

 描かれているのは、平安時代の歴史物語『栄花物語』のうち、巻第一「月の宴」の場面。御簾の奥に座るのは、「天暦の治」で知られる村上天皇です。清涼殿で中秋の名月を鑑賞する公家や、碁・双六などをして遊ぶ女御が描かれています。実際の襖絵では、黄色にぬられた場所には金箔が押され、線で縁どられた雲霞には金泥が引かれました。
 当館には、江戸城本丸・西の丸・ニノ丸の襖や屏風などの下絵が全225点伝来しています。現存しない江戸城の様子を知ることができる貴重な作品です。


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