生誕150年 横山大観展
2018年4月13日~5月27日
東京国立近代美術館
本展の章だて
第1章 明治の大観
第2章 大正の大観
第3章 昭和の大観
横山大観(1868-1958)の生誕150年、没後60年を記念する展覧会。
会場は3つに分かれていて、第1会場入場時に、手持ちチケットが第2・第3会場入場用チケットと交換される。
第1会場はメイン会場。
第2会場は重文《生々流転》専用展示会場。
2階にある第3会場は、最晩年の大観作品も少しあるとはいえ、メインはミュージアムショップ。
各会場一度出ると再入場不可とされている。
第1章 明治の大観
《屈原》1898年・厳島神社蔵は、楚の時代の政治家・屈原の怒りの表情。東京美術学校を追われた師・岡倉天心に重ね合わせているという。
《無我》1897年・東博蔵は、無心の童子。「無我」すなわち禅的な悟りの境地を表したという。
《迷児》1902年・個人蔵は、一人の少女を囲む孔子と釈迦と老子にキリストという、何だかよく分からない題材、絹に木炭で描かれた作品。
《瀑布(ナイヤガラの滝・万里の長城)》1911年頃・佐野東石美術館蔵は、六曲一双の金屏風、悠久の歴史を感じさせるというべきか、結局、屏風内に温順しく収まっているいうべきか。
《彗星》1912年頃・個人蔵は、1910年のハレー彗星を描いた作品。夜空は薄墨で、彗星の核や周りの星は胡粉(白い絵具)で、彗星の尾は薄墨を塗り残して表現している。
第2章 大正の大観
《焚火》1915年・熊本県立美術館蔵は、三幅からなる。焚火を中央に、左に座っては眺め、右に立っては眺める落ち着かない男。
《群青富士》1917年頃・静岡県立美術館蔵は、ポップな富士山。本展メインビジュアル。
第3章 昭和の大観
《朝陽霊峯》1927年・宮内庁三の丸尚蔵館蔵は、明治宮殿の豊明殿で用いるために御下命を受けて制作された六曲一双の屏風。富士山に朝日という直球ど真ん中に、引いてしまう。
《夕顔》1929年・個人蔵は、墨の白黒が綺麗。
第2会場へ。
重文《生々流転》1923年・東京国立近代美術館蔵は、全長40.7メートル、とにかく長い。よく一挙公開できるスペースと展示ケースを用意できたものだ(次の巡回先・京都国立近代美術館では巻替えで3回に分けて展示するようだ)。長いなあ、以外の感想は特になし。
これまで大観の名が付く展覧会は全てスルーしてきた私、実質的に今回が大観初鑑賞。かなりの混雑から大観人気を認識。
5/8から多くの作品が入れ替わる(それ以外の時期に入れ替わる作品もある)が、再訪するか未定。