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守屋山城(2024年2月17日)

2024-02-23 04:41:34 | 日記

守屋山城

長野県伊那市高遠町美篶笠原にある守屋山城(別名は守屋城)に行ってきました(2024年2月17日)。

最寄駅は、JR飯田線の伊那北駅あるいは伊那市駅になります。駅からはバスで笠原口のバス停まで。そこから歩くことになります。今回は高遠城に行った後だったので、高遠城から歩きました。蟻塚城の裏から登ることになります。蟻塚城主郭の正面の土塁の左側に標識が出ていますので、そこから登ることになります。少し歩くと鹿除けのフェンスがあるので、そこを通って左に向かいます。しばらくは標識が出ているので、迷うことはありません。ただ、途中からしばらく標識がなくなり、その間はひたすら直登となります。尾根に近づいてくると、再び標識が見えてくるので、その後は標識に従って進めばたどり着きます。尾根に出ると、右側という標識がありますが、左側にも二重堀切がえるので、帰りに寄りました。

やはりこの城の見どころは、一番最後に見た尾根を左側に進んだ先にある二重堀切になるのではないかと思います。もう一つの見どころは、右側に進んだら現れる3郭と2郭の間の堀切、2郭と主郭の間の堀切になります。

この城は、蟻塚城の詰城と考えられています。

蟻塚城、守屋山城の登城口の位置

守屋山城の位置

蟻塚城主郭の左側にある登城口

鹿除けのフェンス(通ったらすぐに左側に)

尾根にある標識(主郭は右側に進みます)

主郭

主郭手前の2郭との間の堀切

2郭と3郭の間の堀切

5郭の先の二重堀切


蟻塚城(2024年2月17日)

2024-02-21 20:12:48 | 日記

蟻塚城

長野県伊那市美篶笠原にある蟻塚(ありづか)城に行ってきました(2024年2月17日)。

最寄駅は、JR飯田線の伊那北駅あるいは伊那市駅になります。駅からは高遠駅行きのバスで笠原口のバス停で降りることになります。今回は、高遠城からの帰りに寄ったので、高遠城から直接歩きました。一時間ほど歩きます。

現地の説明板によると、この城はこの地方の豪族であった笠原氏の居城と考えられるとのことです。室町時代野初めに造られ、戦国時代に廃城になったと考えられるとのことです。

現在は御射山社という神社になっています。

蟻塚城の登城口の位置(駐車場になってます)

説明板(1)

登城口

登城口に建てられている説明板(2)

御射山社の鳥居

御射山社の社殿

主郭

主郭に建てられている城址碑

主郭に建てられている説明板(3)

主郭からの眺望


高遠城(2024年2月17日)

2024-02-21 06:43:52 | 日記

高遠城

長野県伊那市高遠町にある高遠城(別名は兜山城)に行ってきました(2024年2月17日)。

日本100名城に選ばれている城跡になります。最寄駅は、JR飯田線の伊那北駅あるいは伊那市駅になります。駅からはバスで高遠駅まで行って、そここら歩くことになります。今回は、高遠駅から的場城、高遠そば ますやを経由して登城しました。

高遠城は、諏訪氏一族の高遠頼継の居城として知られているところです。武田信玄によって攻め滅ばされると武田氏の城となります。武田信玄が亡くなると、織田信長による甲州征伐が行われ、その中で織田信忠と仁科盛信による高遠城の戦いの舞台となっています。

江戸時代には、高遠藩の藩庁の置かれたところで、有名な藩主としては将軍徳川秀忠の子で家光とは異母弟となる保科正之がいます。また、中期には絵島生島事件の絵島が流されたのが、高遠藩になります。

なんといっても有名なのは桜の名所ということで、「天下第一櫻」の碑が建てられています。一度桜の季節に訪れたことがありますが、非常に素晴らしく、さすが天下第一櫻だと思いました。

高遠城の位置

北ゲート横の空堀

高遠閣

天下第一櫻の碑

二の丸と本丸の間に架けられた桜雲橋(1)

二の丸と本丸の間に架けられた桜雲橋(2)

二の丸と本丸の間に架けられた桜雲橋(3)

問屋門(1)

問屋門(2)

本丸

本丸の太鼓櫓

本丸と南曲輪の間の空堀

南曲輪

南曲輪と二の丸の間の空堀

白兎橋


的場城(2024年2月17日)

2024-02-20 00:40:44 | 日記

的場城

長野県伊那市高遠町的場にある的場城に行ってきました(2024年2月17日)。

最寄駅はJR飯田線の伊那北駅あるいは伊那市駅になります。伊那北駅で降りてバスで高遠駅まで。高遠駅から登城口となる蓮華寺までは、歩いて10分ほどです。蓮華寺の裏に絵島(江戸時代中期の大奥の御年寄。絵島生島事件で有名。)の墓の近くに鹿除けのフェンスをくぐるところがあるので、そこから入りました。用水路か流れているのでしばらく用水路に沿って右側に進みます。用水路を渡るための橋がかけられているので、そこを渡りましたがはっきりとした道はなく直登しました。最初の橋を渡ったのですが、もう少し先の方がよかったみたいです。落ち葉で、何度も滑りそうになったので、アイゼンを装着しました。

標高877mのところに三角点がありますが、この辺りは城跡ではないようで、さらに先に進んでいきます。標高910mとなる辺りが城跡になるようです。

主郭の背後(北側)には、横堀がめぐっており、これがこの城跡の見どころになるかと思います。

ここは説明板も城址碑も標柱も何もありませんが、「宮坂武男と歩く戦国信濃の城郭」や「長野の山城ベスト50を歩く」にも掲載されているところで、一度行ってみたいと思っていたところでした。

登城口となる蓮華寺にある絵島の墓の位置

絵島の墓

絵島の墓の説明板

鹿除けフェンスのゲート

主郭背後(北側)の横堀

4郭の土塁


長岳寺(2024年2月12日)

2024-02-19 00:08:16 | 日記

長岳寺

長野県下伊那郡阿智村駒場にある天台宗のお寺 長岳寺に行ってきました(2024年2月12日)。

駒場というと、武田信玄が亡くなったところと言われていますが、遺骸を安置したのが長岳寺と言われています。十三重の供養塔が建てられていました。

長岳寺の位置

山門

十三重の供養塔