先日、ガイドバしょったら二の丸に馬の嘶き、ドッドッドッ・・・迫力満点、お城観光に来たお客さんも皆大喜び、初めて見たバイ”やぶさめ”今から約1100年前、清和天皇の皇子から源氏七代に伝わった後、武田・小笠原の両流に分かれました。武田流は若狭武田家の信直から、婚姻関係にあった細川藤孝(幽斎)が受け、家臣の竹原惟成が直伝され、細川忠興から忠利が肥後に入国後は竹原家が宗家師範としてその一切を受け継ぎ、藩学の時習館時代には、武田流の流鏑馬は二条流和歌式や礼法と共に必修科目であったと言われます。流鏑馬式では天長地久式とは異なる神頭矢(じんどう や: 硬い木の小さな塊を矢の先に付けたもので、 物に刺さることではなく、 破壊することを目的とした矢)を用います。的は三ヶ所で約三十間(50m程)毎に置き、馬は全長約200mの馬場を約20秒で駆け抜けます。この間、射手は手綱を放した状態で射を行うので相当の熟練と胆力が要求されるとの事です。