くまもとよかとこ案内人の会

熊本観光ボランティアガイドの会です。主に熊本城や熊本市内をご案内いたします。

西南戦争逸話

2019年03月09日 | ガイド”もっこす”

 

西南戦争“熊本城の戦い”には多くの逸話があっとバッテンが、今日はその一部を紹介しよかね         ①西南戦争籠城将校家族避難跡                                                                           鎮台司令・谷干城婦人・谷玖満子(たにくまこ)を始め将校・兵の婦人達が弾丸の飛来を避けるため熊本城二の丸薬研堀避難しました。彼女等は傷病兵の看護などに当たりました。籠城中は戦闘員以外は、粟飯や粥が配給されていましたが、こればかりでは辛いと思った玖満子婦人は、皆と共に戦いがやむと城内外で野草をつみ、食材調達に励んだそうです。この玖満子婦人、相当な“やりての方”で、彼岸前に餅米の配給があった時、婦人は“ぼた餅”造りを発案し“道具は何とかする・・・”としてある日の夜半、単身城の塀を乗り越え、城下の焼け残った家屋から道具を次々戦時調達で失敬!泥だらけになって、すりばちなどを持って帰って来なはっった。こっで作られたぼた餅は、将校から兵にまで行き渡り、鎮台兵の志気を高めることに役立ったという話が伝わっています            ②赤十字の精神                                     熊本藩主等を診察する医師でありました鳩野宗巴(はとのそうは)は、薩摩軍熊本隊より熊本城の戦闘で傷ついた兵士の治療を依頼されますが、戊辰戦争の際、国際赤十字の医師としての博愛精神を学んだ経験のある宗巴は、薩摩軍・政府軍の別なく治療することを条件に治療を承諾します。患者が多く、病室が足りなくなると、民家を借りて治療にあり、また医療活動は皆自費で行われ、近隣の婦人達が競って看護に協力し初めての戦陣での組織的な女性の看護活動も行われました。


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