“新町”は、明治10年の“西南の役”で激戦地となり、町の多くが焼けたり、水没したりしたばってんが、戦後再び卸・小売業、料亭が建ち並び、通りには朝市が立ち賑わいを見せとったとタイ。ばってんが第2次世界大戦後、だんだん衰退、職人さん達が働いた工場の多くは、郊外へ移転、また平成28年4月の熊本地震で大正、昭和レトロの家屋は倒壊しました。しかし新町を代表する駄菓子屋さん、玩具屋さん、漢方薬の店舗、肥後象眼の技術等“古き良き城下町”を味わう事ができるタイ
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