おはようございます。
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一年前の2016年4月14日21時26分、最大震度7の熊本地震前震が発生。
あの日から一年経ちました。
もう一年、まだ一年・・・ 被災者にとっては感じ方はいろいろでしょう。その日から時間が止まった方もいるでしょう。
私もこの一年いろいろとありました。私もいろいろとありましたが、それでも自宅の被害も少なく、ガイドもできます。熊本城もいつも近くに居ます。だから、前を向いて生きたい。一歩でも二歩でもいいから前に進みたい。時には止まったり、後退することもあるけど、前を向いて生きたい。
熊本地震のあと、熊本城のメインの建造物である大小天守閣と宇土櫓が建っている姿は勇気をもらいました。
細かいことをいえば、屋根瓦が落ちたり、白壁が落ちたりしていましたが、それでも熊本城のシンボルは地震前と変わらず凛と佇んでいました。
天守閣も宇土櫓もすごく力強く、地震に耐え、そして地震後は私たち県民、市民を励まし、勇気づけてくれました。
(2016年11月19日付 熊本日日新聞)
地震後も宇土櫓はいつもの場所で、いつものように建っていました。
でも、内部の情報などはまったくわからず、宇土櫓に関してはやきもちしていました。
そんな中、地震から7か月たち、やっと内部を報道関係者に公開されました。
◎建物の構造自体に大きな被害はみられない
◎1、2階はしっくい壁の剥落がひどい
◎廊下の床が建物中心に向かって大きく傾いている
◎2階の鉄骨製の補強材が1か所撓む
◎2階の敷居が1か所破損
◎3階のかもいが1か所外れ落下
◎4、5階は大きな損害はなし
構造自体には大きな被害はみられないものの、大規模な修理になる可能性ありとのこと。当分中に入ることはできないですね。
この報道を知り、ホッとしたのと、中に入れない寂しさが入り混じり、複雑な気持ちになったのを昨日のことのように覚えています。
宇土櫓は地震で倒れなかった。本当に強い、強い建物です。
でも、隣の続櫓は倒壊。ずっとずっと長い間一緒にいたのに、宇土櫓も続櫓も辛かったでしょうね。
もしかしたら、続櫓が宇土櫓を守るために自ら犠牲になったのかな。
熊本城の大小天守閣は明治10年の西南戦争のときに焼失しています。昭和35年に天守閣が復元されるまで約80年もの長い間宇土櫓が熊本城のシンボルでした。
その間には明治22年の金峰山地震もありました。その時も宇土櫓は耐えました。
でも、大正の後半には軒先の一部が落ち、屋根が破損したりと劣化がひどくなりました。
荒廃した宇土櫓をなんとかしようと、大正15年に熊本城址保存会が結成され、市民、県民に広く寄付を呼びかけ、昭和2年に解体修理が行われました。あの時から90年経ちました。また大規模な修理が行われます。
それによって、もしかしたら、宇土櫓の創建年が明らかになるかも。部材の化学分析でいろいろとわかるかもしれない。
いろいろなことが解明されたら、宇土櫓の歴史的価値は高まるだろう。
いつ、どんな風に宇土櫓の修理が開始されるのかまだ発表されていない。
一日も早く今後の予定を知りたい。そして、一日も早く修復工事に取り掛かってほしい。
くまもとよかとこ案内人の会は、
熊本城を中心に熊本市のよかとこ!(良い所)をご案内しています。
熊本城下『城彩苑』に平日3名、土日祝日4名が待機しています。赤いジャンバー(ポロシャツ)のユニフォームが目印です。
無料で熊本城を1時間位ご案内致します。
お一人様でも、グループ(7~8名)でもご利用いただけます。どうぞご利用下さい。
城彩苑案内所常駐ボランティアガイド
受付時間 9時~15時
熊本市内のご希望場所へのご案内は事前のご予約をお願いいたします。
ガイド料は無料ですが、交通費としてガイド1名に付き2,000円お願いしております。
観光ボランティアガイド 『くまもとよかとこ案内人の会』
http://www.k-yokatoko.com/
熊本市中央区二の丸1番1-3
桜の馬場 城彩苑 総合観光案内所内
電話 096-356-2333
熊本城に行った際には、天守同様、必ず登りました。
最上階からの天守の景色が最高です。
隣の続櫓も歴史を感じ、長い廊下を歩いた時のことを思い浮かんでいます。
しかし、1年前の朝、熊本城の状況をネットでチェックしていましたら、この続櫓がなくなった画像が投稿され、その姿にすごく驚きました。
続櫓の倒壊は、一番衝撃を受けました。
宇土櫓と続櫓も元通りの美しい姿になることを願っています。
あの日から一年過ぎました。
宇土櫓の強さには本当に勇気をもらいました。
宇土櫓、続櫓の復旧には時間がかかると思いますが、一日も早く中に入れることを願い、これからもずっと近くにいたいと思います。