こんばんは、ゆみつぐです。
昨日の短文の続きです。
昨日のうちに文章を書き上げたく、しかし例え好ましくない相手に対して自分に無責任に書くにはいかずで、短文ながら書いていて難しかったです。
で今日はその続きでも書いてみようと思います。
昨日『園芸オバサンは孫を可愛がる』という文章を書きながら思っていたのは、
「ほんとに園芸オバサンは孫を可愛がっているのだろうか」と疑問でした。
孫を可愛がるとは、一体客観的に他人の、傍の目からみればどういうことを言うのだろうかと。
このオバサンのために色々なパターンを考えるのも面倒なので、あの慣用句『孫を目にいれても痛くない』というのを持ち出して考えました。
この比喩が、『それほど自分が溺愛している』と自ら自慢をしているものなら、園芸オバサンはその通りなのだろうと思います。
それは『どう私、孫を目にいれているけれど全然痛くないのよ!』などと大きな騒々しい声で近所にアピールしまくるのですから。
『孫を目にいれても痛くない』というのは、
不可能であることを前提としても、目に入れようとする行為もわざとですし、
「痛くない」と言うのもわざとですし、
そんな『わざと』と、園芸オバサンが普段から騒ぐのもそれを見せつけるようとしている『わざと』とはまったく同じ『わざと』です、きっと。
『見て見て、私を。孫を可愛がる私を』とわざとらしい大きな声で。
以上、長めに考えてみました。
最後までお付き合いいただき本当にありがとうございました。