こんばんは、ゆみつぐです。
お元気ですか?
『これからこのブログは何とか二か月に一回の割合いくらいには書きます』と書いていて、実際そんなペースになってますね。
ほんとは今回のブログ記事はもっと前から書き始めていましたが、読む人にとってなかなか難しい内容になりそうで悩んでいたのでした。
タイトルの『パニックになるらしい』はもちろん園芸オバサンです。
その話を知ったのは前回ブログを書いた翌日の12月31日、いつもお世話になっている近所の方に気持ちばかりの贈り物と年末の挨拶を兼ねて訪問(立ち話ですが)したときの事。(もう二か月経つのです、もっと早めに書き上げるつもりでしたが)
まず園芸オバサンについてのひとつめの話は、その方との会話でちょっとしたことで、園芸オバサンの話題が出て、私が『園芸オバサンにちょっと言ってやりたいことがある』との話になった時に、その方は『あの人は人によって、すごい良い人と言う人がいる』ということらしいです。
それを聞いた私は、園芸オバサンらしいと思ったものです。ちょっと言い方がなんですが、園芸オバサンは、自分について知らなそうな人には究極の外面(そとづら)の良さと、媚び・愛想を売るのが上手なのは私もよく知っているので、そうだろうなくらいにしか思いませんでしたね。
ただいい人だと思って付き合っている内に、それこそメッキが剥がれてくるようです。みんな常識人なら気づく感じです。園芸オバサンが究極に愛想が良さそうでも近所でほんとに仲良い人はいなさそうです。
この人に寄って来て、長話するのは嘘でもいいから近所の情報を欲しがる近所情報収集の輩たちばかり。
ふたつめに園芸オバサンについて聞いたのが、『パニックになるらしい』です。その話して下さった方が直接その場面に出くわしていないので『らしい』となっています。
それは順番巡りで何年か前に自治会の役員をしている時に何やらあったそうです。
自治会内で、園芸オバサンは何やらいくつか頼み事を受けたのですが、それを忘れて実行せず、パニックになったことがあるそうです。そして頼まれてことも覚えていないらしいです。
私としてはこのオバサンらしいなと思いました。自治会じゃなく、プライベートの話になりますが、このオバサン、普段から『ふんふん』人の話を聞いているような態度を見せますが、
『話として聞くけれど、それで終わる』のがこの人の性格なんです。自分の知りたいところだけピックアップして聞いているだけです。
また自分から素敵な提案をしてくるのに、のちに会ってもそのことに何も触れず、まるでなかったかのようにその話は消滅しています。いわゆる口先だけでいい人ぶるんです。そのくせ、自分のした事には見返りを求めると言う厄介さ。
そんなことを私も母もこの人から経験しているので、パニックはともかく、何も実行しないことは有り得るなと思います。
ただ『覚えてない・知らない態度』はこの人の身に付けた知恵のようにさえ思いますがね、とかげのしっぽのような。大阪のおばちゃんじゃないけど「知らんけど」と付けておきますが。パニックがどんな感じかはわかりませんでした。ひきつけみたいなことを起こすのかとか。
どっちみち頼んだことをしていなかったら、頼んだ方は当然責めるだろうし(自治会仕事なら、特に頼んだ方も周囲の人からほんとに頼んだのか疑われるだろうし)、だからそんな簡単にパニックになられてもとも思います。自治会の仕事で。
なので、『私がもし園芸オバサンに一言言うなら、園芸オバサンがパニックにならないように』とその相手方さんに助言をいただきましたが、私の中では『はぁ?』って感じでしたけどね。
助言して下さった相手方さんは園芸オバサンのことをほとんど知らないので、そんな助言がちんぷんかんなことはわからないでしょう。
少し話がずれますがこの、『良い人』『パニックになる』からふとイメージしたのが、いわゆる『繊細さん』(『繊細さん』という言葉をご存じない方に私的なイメージで説明しますと、『繊細さん』とは『ささいなことでも精神的にダメージを受けたり、人に気を遣い過ぎてて疲れやすい人』と言った感じです。)で、
今回園芸オバサンについて書くことによって、閲覧していただいている『繊細なかた』を無意識に傷つけるような気がして、なかなかブログ記事として書き上げれなかったのもこんな時期になった要因でもあります。
なのでこの記事を読んでいただいている『繊細なかた』に伝えたいのは、『繊細な方』は断り切れなくつい引き受けてしまうのであって、この園芸オバサンは、とりあえず聞いとくがずっと続いているような感じで、しかも人に頼まれて勘違いの恍惚感を味わっていると思います。
園芸オバサンはすごいプライドが高いから、『業務的な依頼事』を『自分へのお願い事』のように聞いていて、相手を下に見ている感じでないかな。
なので依頼事も『しなければいけない仕事』と思わず、自分がする・しないを決めるみたいに頭の中でなっていて、頼まれたことも『しない』ことも多いんじゃないかって思います。だから頼んだ方の『あの時頼んだのに!』が通じないのだと思います。
飛躍し過ぎではないか??って言われそうですが、なんかその辺の公私が混同しているような気がします。この人の普段の行動からも。
と言うことです。
他に後もうひとつ全く別の話になりますが、園芸オバサンの気になった行動が今月13日の木曜の午後にあったのです。いつも日中いるわけではないので、いつもこんなことがあるのかってちょっと驚いた話です。
小学生低学年の男孫がその友達数人とが、園芸オバサンの道路前で遊んでいる声が聞こえてきます。別に私的には道路で遊ぼうが気にはしませんが。
ただそのうち、何か園芸オバサンの怒る声(全然迫力がない)が聞こえて来て、
“おしっこしたの?よその家(の前)でおしっこしたの?そんなしたらダメとか何とか。”
あー、始まった園芸オバサンのいわゆる『ストリートパフォーマンス』。自分が孫の友達に教育的しつけしているシーンを見せるパフォーマンス。「近所のみんな聞いて!私はちゃんと他人の子を叱れる大人なの!」とばかり、大きな声で、それでも作った声でまるで何かのセリフのように、周りに内容がしっかり聞こえる、聞かせる話し方。ここで大きな声は必要ないのではないか。
いつも通りだな。なんでも利用する汚さ。
誰の家の前でしたかはわからないけれど、こんなに周りに聞こえるでかい声で言われたら、おしっこされた家のほうがすごく羞恥ものです。
「ここんちは、おしっこされた」てばかりに。
こういう時って近所の人間は自分のところじゃなければ全然OK、「うちじゃなくて良かった」「“あの家おしっこされた”と笑う」といったところがあるので、この『園芸オバサンのパフォーマンス』はほんとおしっこされた家への名誉棄損的でもある気がします。傷に塩塗りこむ的な。
園芸オバサンは、ここまで子供が人の家におしっこをしたと叫ぶなら、後でその家に謝りにいかないといけないでしょう。してないでしょう、この人は。とことん自分のことしか考えていないから。
正直アンタの怒りなんてどうでもいい。された側になってみろって感じです。怒るスタンスを見せつけていたけど、こんな形で言いふらすなって。
この後、子供達をどれだけ良くないことをしたか自分がどれだけ怒っているかを知らせるために全員一旦帰らせたらいいのに、それもしないです。園芸オバサンの自己満足のみが残っただけです。
自分のことしか考えない園芸オバサンをあらためて思い知った日でした。
ほんとにうるさいだけでうっとうしいのに、ストリートパフォーマンスするなって感じです。
以上、こんな感じな最近です。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。