2024.08.16(金)
昨日の終戦記念日。
母は100回目の誕生日を迎えた。
面会では、1週間前よりもどこか反応が鈍くなったような気がする。
表情は穏やかで、顔色もよく、自身も「元気よ」を繰り返すが、多少の上下はあったものの確実に下降線をたどっていることは確かだ。
以前のように、母の紡ぎだす言葉ではなく、意志を伴わない「みんな元気なのは何よりね」「なんでも便利になってすごいわね」を繰り返す。
それでも家族のこと、親しい人の名前にはちゃんと反応して忘れることはない。
だけど、いつまでも母の記憶がたしかであるという保証はない。
息子たちは今月中に母を訪ねてくれるという。
時間はゆっくり流れているが、私の中の時は不可解な動きを見せて、何かに追われているような不安を感じる。
去年の秋口まで、母の老いは私には大きなものではなかった。ジョークが好きで、人の悪口も言い、目にはいつも光があった。
その後、いつの間にか母は「おばあさん」になって、ああ、老いるということはこういうことをいうのか、と私に教えてくれるようになった。
昨日の母は、まるでドラマに出てくる「老人」で、そんなことに少しショックを感じている私は、いまさら何を言ってるの?と恥ずかしい限りだ。
自宅のリビングで、100歳の母のことを13歳の女子たちと話す。
8月15日生まれ・・・。
図らずも終戦、戦争、今だって戦争はあるよね~、という話につながって、子どもらしい想像を巡らせる。
戦争を知らない私の言葉に重みも深さもなく、想像してみよう、と誘うのがせいぜいできることだ。
こうして、私の終戦記念日は過ぎていった。
今、わが家の近くでは、ときおり雨が降り、強い風が吹くくらい。
空はどんよりしているが、雲の切れ間に光も見える。
千葉の知り合いは、5年前を思い出して対策をとりながらも不安な気持ちは消せないと言っている。
せめて被害が最小限ですむことを・・・。
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