隠れ家-かけらの世界-

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何も残さなかった世代の最期?~映画「みなさん、さようなら」より~

2007年01月06日 14時47分37秒 | 映画レビュー
●映画賞受賞作ってこと
 「みなさん、さようなら」、DVDでやっとみました。
 2003年のアカデミー外国語映画賞をはじめ、カンヌ映画祭脚本賞、主演女優賞などを受賞した作品。映画賞受賞というのは、私のような「素人+案外権威に弱い」には、悲しいかな、ひとつの基準になるわけで、「ま、映画賞もらったんだし、すごく良くはなくてもハズレはないでしょう」的な情けない安心感っていうか、ある意味くだらない線引きができちゃうっていうか、そういうとこはありますよね。
 この作品も、映画公開時にはそういう賞に関することが宣伝コピーに反映されていたし、ちょっとみてみたい、と思いつつ、機を逃したということです。

●何も残さなかった人種?
 死を前にした人がどのようにそれに対峙していくか、人間の最期の過ごし方…、というのがテーマだと聞かされていたけれど、そういう重いテーマにかかわらず、始終笑い声(それもさわやかな笑いではなく、ちょっと卑猥なアイロニックな含み笑い的な)が画面のそこここに現れる、というのが意外だった。そういえば、「コメディー」に分類されていたっけなあ。
 考えたら、そういう重いテーマをコメディーで描いてしまうところがすでに異様なのかも。コメディーといっても、もちろんいわゆるドタバタではないんだけど。
 主人公のレミやその昔の友人たちは、60~70年代の青春をいわゆる左翼系知識人として生きた年代なんだろう。サルトルカミュ実存主義ソルジェニーツィン構造主義、脱構造主義なんて「イズム」っぽい言葉を羅列するシーンもあったし。
 「キライな主義は?」に対して、「革命主義」とか答えて意味深な笑いを誘っていたところからしても、いわゆる過激な武力闘争や労働運動などにつながる労働者の部類には入らない(そういう階層とは一線を課している?)人たちなんだろう。
 で、そういう時代はフリーセックスも当たり前で、だからレミはもう太ったブタのような男だけど、女性遍歴は華やか、やたら女好きの中年知識人。死を前にして不安を抱える彼のまわりに集まった男女はそれぞれに知り合いだし、かつて関係のあった女性たちも入り乱れている。
 当時はドロドロもあったのかもしれないが(なかったかもしれない、とも思わせる)、やたら宙に浮いたようなインテリの言葉で盛り上がったりする。
 知識はあったしユーモアにもあふれていたんだろうけど、結局ふつうの家庭を築くこともできなかったし、大学で教鞭をふるったけれどすぐれた教育者になれたようにも見えない。左翼系知識人の例にもれず社会を改革することももちろんできなかった(しなかった?)。実質的なものを何も残せなかった人種ってことなんだろうな。
 映画の舞台はカナダで、レミはフランス系カナダ人、会話はもちろんフランス語…、といえば、60年代のパリのカルチェラタンを颯爽と生きていた人たちに共通するものをもっているのかなあ。私も知識として想像するしかない時代であり世界だけど。
 それでもみんな当時のことを懐かしく、皮肉っぽくも明るく思い出したり笑ったりしているところがすごいっていうか異様、っていうか不気味?(笑)
 挫折して過去を語らない人たちもきっといるんだろうけど、マジには傷つかなかったインテリたちは不必要に(笑)強いんだろうなあ。
 映画のテーマより、こういう人種の末路がおもしろかったのはなぜなんだろう。この監督もそういう人種の一人なのか? この作品は1986年の「アメリカ帝国の滅亡」の続編であるということからして、この人物たちに深い愛着を覚えているんだろう(ってことは同類?)。

●家族や若い世代との関係
 上ではちょっと否定的に書いてしまったけど(だって胸糞悪かったんだもん。笑)、形なんてなかった父子の関係が少しずつ深まっていく過程を乾いた感じで描いていくところは心地よかった。あんまり実感として感動はしなかったけれど、ま、こんなもんなんだろうな、くらいにとどめておいてくれたのがよい(意味不明?)。
 頭でっかちの、ある意味大人になれなかった父親に対して、息子セバスチャン(羽賀健二似の二枚目ステファン・ルソー。カナダで人気のコメディアンらしい)は経済力も実行力もある。「あいつは本も読まない!」と父から否定される息子が淡々と行動し、父親が望む最期の時をコーディネートし、多少の危ない橋を渡って鎮痛のためのヘロインを調達したりもする。その行動力は、知識と皮肉だけの父親にはないものだ。
 そして、もう一人の若い世代として、レミの友人(かつての愛人)の娘でジャンキー(薬物中毒者)のナタリー(マリー=ジョゼ・クローズが秀逸)がいる。彼女もたぶん奔放な母の生き方を受け入れられずに、自分の道さえ見失ってしまった人なのだろう。それでもレミを知り、セバスチャンに淡い恋心をいだくうちに、薬物と縁を切ろうと治療を始めるようになる。未来は決して明るいとはいえないかもしれないが、それでもどうにかしようと歩き始める何かを、レミは彼女に無意識のうちに伝えていたのかもしれない。どうなんだろう。
 レミと友人たちの知的な言葉遊び的な会話を、若い二人はそれに加わることはせずに少し笑みを浮かべて聞いている。どんなことを思って聞いていたのだろう。こんな年になっても上っ面だけの会話で盛り上がるなんて…、だったかもしれない。それともひょっとして、自分たちはこんな年齢になったとき、こんなふうに共通の話題で(たとえくだらない内容だとしても)笑い合うことができるんだろうか…、だったかもしれない。そのいずれだったとしても、なかなか興味深い。
 最後に父は息子を抱きしめて言う、「お前のような子どもを作れ」。これはひょっとして、長い間の父子戦争への敗北宣言だったかもしれず、ただ単に自分の最期を見事に演出してくれたことへの感謝だったかもしれず、またたぶん一度も口にできなかった息子への愛情表現だったかもしれない。

●最期の時
 宣伝コピーなどでは、「理想的な最期」「誰もが憧れる穏やかな最期」となっていたが、それはどうなんだろうね。簡単には、Yes とも No とも言えない。
 それでもこの作品では、レミの希望する最期だったのだから、彼は幸せだったのだろうけど。大好きな湖の湖畔で、青春をともにした友人や家族と過ごし、つらい痛みはヘロインでやわらげ、最期を自分で決め、ヘロインを大量に摂取してもらって眠るように逝く…。
 私の最期は? と自分に問うても、今は何も浮かばない。そういうもんだろう。あれは一つの例、と思えば、人の理想的な最期はその人の数だけあると言えるだろうし、「理想的な最期なんてあるわけないさ」と主張する人がいてもおかしくはない。それでいいのかもしれないけど。


  エンディングで流れた女性シンガーの歌が美しく、せつなく、懐かしく響きました。レミたちのいちばん輝いていた時代に(カナダで?)流行った歌だそうです。曲名をぜひ知りたいのですが…。

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