人を力づけるって難しいなあと感じています。こんにちは!
たまにはこういう話もいいかと思って書き始めたんですが、既に頭の中が散らかっているので、上手く収拾がつけられないはずです。
ヤマもオチもないよ、と予防線をこれでもかとはっておきます。よろしくお願いします。
さて。
自分は(数量的な意味で)貴重な若者枠の人間です。
触れ合う友人や知り合いもその枠に入る人が多く、よく言われているように、子供のころから下げ調子の経済・世の中を見続けています。
両親はもろに氷河期世代です。
正直、明るい未来は見えてないですよね。
社会を生きるひとりの人間、という面だけで言えば、私はかなり楽観的で健全な思考を持っている側です。
自分が幸せを感じる要素の分析をある程度は済ませていて、しかもその要素は自分自身で叶えやすいことばかりで、具体的に言えばそんなにお金がかからない。それでもって時間がかかるから、本当にお金がかからない……
そんな自分から見ても、世の中が暗いじゃないですか!(断定)
同様の経済条件を持つ友人は、将来のことだけじゃなく、近々のお金の心配が絶えないといいます。
私でも、家計簿の諸要素を見て(1年前と比べてもえらいことになってるな)と冷静に思うことがあります。
金銭的な余裕のなさは、精神の不安定を招くんですよね~~
ここまでを前提として、タイトルに戻ります。
コミュニケーションの難しさです。
コミュニケーションの目的は情報の行き来によって、相互理解を目指すことだと思っています。
人は皆理解したく、理解されたいという欲求を少なからず持っています。
私と友人は同様の経済条件を持ちながら、理解し合えない状態にあります。
厳密にいえば完全な相互理解は不可能なのですが、「なるべく完全に近づけよう」という意思が削がれている。
私と友人というのは、あくまで人と人のつながりのごくごく小さい例でしかなく、誰かと誰かのことで、広げれば人々と社会のつながりそのものです。
人は余裕がなくなると、自分に近いものしか見られなくなります。
数も多すぎてあまり具体例は出したくないんですが、自分の所属する属性を守るために他の属性を貶めるようになるんですよね。
「自分さえよければそれでいい」の規模が大きい版だこれ。
今の世の中の暗さというのは、「自助努力では乗り越えられない、貶めの順番待ち」なのかなと思ってます。
誰も助けてくれないから自分も助けられない、が延々と繰り返されている。
余裕がない人から順番に、他者を貶める他者になるものですから、他者を貶める他者に見つからないように息をひそめたり、また、他者を貶める他者であると気取られないように誰かに順番を押し付けたり。
順番が回ってきた人の扱いを知っているから、そうはなりたくないわけで……
この不安の解消ができない自分が、人に踏み込む権利があるのか!?
と非常に、はちゃめちゃに悩んでるところです。
損得(=「自分さえよければそれでいい」)よりも正しさをとりたい!
という話をしたときに、それは持ってる人の理屈だと友人にたしなめられたのでした。
順番が回ってきたら、自分なりの正しさを表現できなくなるのかな~~というのが目下の悩みです。
多分できなくなるのを知ってるから悩むんでしょうね。
あんまり長く書くとハゲちゃうので、今回はこのあたりにしておきます。
同じことを考えている人にしか伝わらないよう、なるべく抽象的に話したので、叶っていればいいなあと思います。
友人へ
美味しいものを一緒に食べましょう。
お金がないのであれば、よかったら、美味しいものを一緒に作りましょう。