三年前の「紀元節」、私は「ちゃんとした日本人になる!」と「宣言」した。
生まれて初めて、『平成最後の「天長節」』で国旗、日の丸を掲げた。
それからは旗日には必ず、国旗、日の丸を掲げるようになった。
先月2月23日の『令和最初の「天長節」』の当日も、国旗、日の丸を掲げ、天皇陛下のお誕生日をお祝いさせて頂いた。
国旗、日の丸を、自分自身で揚げることで気付いた事がある。
日本国旗を掲げる度に、自分の胸の内にも「日の丸がある」という実感(一体感)が深まって行くという事。
いかに日本人が、国旗から、日の丸から、日本国から離れていたのか、分離されていたのかが、分かったような気がした。
国旗を揚げると「日本」を意識する。
戦後、国旗を揚げなくなり、そのように誘導された事は、「日本」という国から人々の心を離れさせ、「愛国」という美しい思いから遠ざけた。
今、混沌とした時代の流れの真っ最中に、私たちはいる。
それを意識していようがいまいが、その流れは避けられない。
その流れは、本来の日本人の本質を覆っていた穢れを取り去るだろう。
日本人が『神性の自覚』を持ち、『霊性の復活』を遂げる日がやって来る。
本来の日本を取り戻した時、新しい日本国が始まる。
その時を楽しみに、私は毎日国旗を揚げようと思う。
生まれて初めて、『平成最後の「天長節」』で国旗、日の丸を掲げた。
それからは旗日には必ず、国旗、日の丸を掲げるようになった。
先月2月23日の『令和最初の「天長節」』の当日も、国旗、日の丸を掲げ、天皇陛下のお誕生日をお祝いさせて頂いた。
国旗、日の丸を、自分自身で揚げることで気付いた事がある。
日本国旗を掲げる度に、自分の胸の内にも「日の丸がある」という実感(一体感)が深まって行くという事。
いかに日本人が、国旗から、日の丸から、日本国から離れていたのか、分離されていたのかが、分かったような気がした。
国旗を揚げると「日本」を意識する。
戦後、国旗を揚げなくなり、そのように誘導された事は、「日本」という国から人々の心を離れさせ、「愛国」という美しい思いから遠ざけた。
今、混沌とした時代の流れの真っ最中に、私たちはいる。
それを意識していようがいまいが、その流れは避けられない。
その流れは、本来の日本人の本質を覆っていた穢れを取り去るだろう。
日本人が『神性の自覚』を持ち、『霊性の復活』を遂げる日がやって来る。
本来の日本を取り戻した時、新しい日本国が始まる。
その時を楽しみに、私は毎日国旗を揚げようと思う。